「我が野球人生に悔いなし」という題で連載させていただくことになりました。
まだまだ、私の野球人生も道半ばですが、少年期から現在までの約50年の野球人生です。
プレーヤーとして26年間。その後の審判員活動、通算4300試合の中での数々の思い出を「メモ魔」が残した記録などを利用いたしましてお伝えできればと思っています。
現役プレーヤーの方、審判活動されている方、あるいは今後、審判の道を志そうとされている方。皆様方に私が経験したことが、万分の一でも参考としていただけるものがありましたら幸いに思います。
また選手、審判員の方へは辛口となる部分も多々あるかと思いますが、すべて野球というスポーツの発展を願う意味から、ご了承いただきたいと思います。
なお、サタデーリーグ会長・臼井さんとは、昭和60年から(平成7年まで在籍)在籍した明治神宮外苑審判協会の同期生で、ともに汗を流し、技術の向上を目指して、競い合ったライバルでもありました。当時から現在まで不思議と気が合い、尊敬できる私の大切な友人の一人です。
今回は、今夏観戦した甲子園と、私の現在住んでいる茨城県の代表校、常総学院高について少し書きます。
私の故郷は、福岡県嘉穂郡幸袋町(現在飯塚市)ですが、小学校を卒業したのが昭和27年です。今年でちょうど50年になります。それを記念して小・中学校の野球部と陸上部の同期生3人(首都圏在住)で、中学の修学旅行でいった奈良・京都へ小旅行をしてきました。(旅行の目的は50周年などといっていますが、古女房のもとを離れたかっただけかも?)
8月10日に出発し、京都を回り奈良で一泊しましたが、11日には私だけ我がままをいって、甲子園球場へ駆けつけ、常総学院高―宇部商、鳴門工高―日大東北高の2試合を観戦しました。
20代前半には大阪に住んでいましたので、甲子園球場によく阪神ー巨人戦を観戦に出かけたものです。甲子園は、昭和58年(第66回大会)以来ですから、実に18年ぶりの甲子園となりました。
45年前の飯塚商業高時代(昭和34年卒)には、全国の何万という高校球児と同じように、私も甲子園を夢見ながら白球を追った一人ですが、その夢は私の時代には叶いませんでした。
後輩が昭和43年の第50回記念大会で甲子園初出場を果たし、続く44年にも2年連続で出場しました。
話を甲子園に戻しますが、茨城県代表の常総学院高は、今夏の県予選はノーシードから勝ち上がり(7試合)水戸商との決勝戦では、5回を終わって1対6から、6回、7回に各4点ずつ取って結局9対7で甲子園切符を手にしました。
甲子園での成績は、宇部商に3−2、福岡の柳川高に3−0で勝ちましたが、優勝した明徳義塾高に2転、3転の末7−6で敗れ、甲子園を去りました。
今年の甲子園は見応えのある試合が多く、特に石川県代表の遊学館高の創部1年4ケ月での甲子園出場と、1・2年生選手の活躍は絶賛ものでした。
今後も機会があれば甲子園を訪れたいと思います。
前ジャイアンツの長島監督が甲子園の決勝戦を観戦し、「高校野球は永久に不滅です」とコメントを残しています。
私も同感です。
次回は野球を始めた少年期の話から本題に入りたいと思います。
(臼井一言…平田さんの連載はこれから永く続きます。人間として、審判員として一級の人です。『我が野球人生に悔いなし』から多いに学びましょう)
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