◇◇ 平田 東審判員 ◇◇


■その15
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 家内の反対を押し切って茨城県の田舎に越してきたものの、周りは田んぼの真ん中の村営住宅で、過疎化対策の一環として村が売り出しを開始して4回目の住宅ということで、自治会名は「四期住宅自治会」の名称で呼ばれ、会員数は56戸の小規模の住宅でした。

 転入者は東京・埼玉・千葉県から大体同数の割合で、私も嫌々ながらも茨城県人となりました。
 その後も同じように分譲住宅が次々と建設され、最終的には700戸ほどの村営住宅が村の方々で建ち、3年後に当初の目標達成ということで、分譲住宅の売り出しは中止されました。

 引っ越しをしたのが5月の連休でしたが、農家の方たちは田植えの時期で忙しそうに農道を駆け回っていました。田植え後の周りの田んぼからは、夜になると一斉にうるさいくらいの蛙の大合唱がはじまりました。
 都会の諸々の喧騒に比べて、こちらは蛙の合唱、本当に超田舎に来たのだなと、つくづく思いました。

 勤めの方は大田区の六郷土手の近くに変わっていましたので、8時の出勤時間に間に合わせるには、家を6時に出なくてはなりませんので朝は大変でした。
 
 バスは朝方2本くらい取手行きがありましたが、バスの時間は当てにならないことを計算して、品川区から引っ越す少し前に、鮫洲の運転免許試験場で50ccの原付バイクの免許を取得し、上野の中古バイク店でバイクを購入し、茨城の自宅まで自分で運転して運びました。

 取手駅から品川経由、京浜急行で六郷土手駅まで通うことになりました。引っ越した当時は夏を迎える前の時期でしたので、眠ささえ我慢すれば自分の家からの通勤であり、若さもあってさほど苦にはなりませんでした。

 しかし夏が過ぎ秋を迎える頃ともなると、日の暮れもだんだん早くなって行きました。
 そして真冬を迎えると、家を出る朝の6時といえば空の星は冷たく輝き、空気は身を切るように冷たく、駅までの約10km、15分ほどのバイク運転は大変でした。

 寒さのためにバイクのエンジンが中々掛からず、何とか動き出したものの電車の時間を気にして遅れまいと焦り、スピードを出しすぎて、カーブを曲がりきれずに田んぼのあぜ道へ落ち込むことがよくありました。

 ある程度覚悟をして茨城へ越してきたものの、真冬の通勤の辛さは予想外でした。朝6時に家を出て、帰りは夜9時過ぎですから、家には寝に帰るだけのようなものでした。当時休みは日曜日だけでしたので、疲れを取るために日曜日は寝てばかりいました。

 子供とは帰りが遅いため、いつも見るのは寝姿ばかりで、たまの休みは疲れで寝ている状態でしたので、遊んでやることもあまりできませんでした。
 日曜日の夜になると子供からは、「パパ今度いつ来るの」といわれる状態で、幼少期の父親との触れ合う大切な時期を、仕事に追われて構ってやれずに申し訳なく思うものの、当時はどうすることもできませんでした。

 このような毎日の繰り返しの中で、働き蜂のように働き続けた4年間が過ぎ去りました。
茨城県の伊奈村(当時)に越してきたのが32歳でしたので、このとき私は36歳になっていました。

 働くことに没頭していた同じ住宅の人たちも、越してきて4年の歳月が流れて、通勤の大変さにも慣れ、時間にも余裕がでてきて、週1回の日曜日には体を持て余し気味に、住宅周辺をぶらつく姿が目につくようになりました。

 そんな折りタイミングよく、同じ自治会内で私より4歳年長の方がまとめ役となり、住宅内で野球部をつくるので、是非参加をとの回覧が廻ってきました。
 私は歓び勇んで回覧板の申し込み用紙に名前を記入しました。

 このとき野球部結成の回覧の申し込み用紙に記入したことがきっかけで、働くことのみに全力投球していた4年間のブランクはあるものの、忘れかけていた野球に対する情熱が再び湧いてきました。

 昭和50年8月、1枚の回覧板によって私の住んでいる自治会から18名、また隣の自治会から同じ18名、合わせて36名のメンバーが集まり、年令は24歳の独身から40歳のオジサンまで、幅広い年齢層の集団でした。
 チーム名は住んでいる地名をとって「ヤイターズ」と命名しました。

 集まった36名の野球の実力など分からないままに、とりあえずスタートを切ることになりましたが、中にはソフトボールの募集と間違えて入部した方もいたようです。

 早速河川敷のグラウンドを借りて合同練習を開始しました。グラウンドでメンバーの実力を見て驚きました。半分くらいが初めて野球をやるような人たちで、少しはやれるかなと思われる人も2〜3人ほどでした。

 その後1ケ月ほど毎週日曜日に練習を繰りかえす内に、部員は1人減り、2人減りしてゆきました。チームの創部が8月で、練習ばかりでは面白くないので大会に参加することになり、村の大会とその他の大会を含め2つの大会に参加することにしました。

 部結成2ケ月間の練習の成果を試す意味も兼ね、10月に行なわれる秋季大会への参加でした。1つの大会が雨で流れたために、村の大会と重複する日程となり、時間がずれていたため両方の大会に出場しましたが、結果は2つの大会の試合ともに、大差のコールドゲーム負けでした。
 チームのデビュー戦は、公式戦1日2連敗という惨めなスタートで幕を開けることになりました。

(平成15年3月29日・記)



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