◇◇ 平田 東審判員 ◇◇


■その17
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 昭和52年、チームにとって3年目のシーズンを迎えました。
結成して1年半に満たないチームが、予想外の成績を残して迎えた春季大会の抽選会では、昨年の活躍で「ヤイターズ」に対する評価は一変していました。

 昨年の抽選会では、弱いチームの代表のように扱われていましたが、この年の抽選会ではどのチームも「ヤイターズ」とはできれば対戦したくない、そのような雰囲気でした。
当時村の連盟にも審判部がありましたが、まだ私たちは結成間もない新参チームでしたので、連盟の役員にも、審判部にも村の野球連盟からチームに対しての誘いはありませんでした。

 しかし、当時村では2年に一度の隔年に、軟式野球連盟から審判員の指導者を招いて、講習会が行なわれていました。
 この年は講習会があるとのことで、私はチームの代表として参加しました。
 土浦市の軟式野球連盟から派遣された4人の指導者で、午前中はグラウンドでの実技指導、午後は公民館の広間で座学が行なわれましたが、生まれて初めて野球の審判について教えていただきました。

 当時村の連盟役員が16名、審判部員が29名で、連盟予算は268,000円でした。

 この年は、村の春季大会準優勝、筑波郡職業人大会4回戦敗退、谷井田地区春季大会優勝、秋季大会準優勝、分譲住宅杯春季大会優勝、秋季大会準優勝が主な成績でした。
 年間のチーム成績は、31戦、25勝6敗、勝率8割6厘でした。また、チームの部員は昨年の28名から21名に減少しました。

 審判活動の方は、村の先輩審判員に指導されながら、塁審を5試合経験させていただきました。
 この年の5試合が、27年後の現在も審判活動を続け、審判活動通算4493試合(平成15年4月29日現在)の礎となった貴重で記念すべきスタートとなりました。

 明けて昭和53年のシーズンは、昨年、村の春季大会の決勝戦で破れた常陽観光に、今年も準決勝戦で0−6のスコアで破れ雪辱はなりませんでした。

 161チームが参加して行なわれた筑波郡職業人野球大会は1回戦敗退しましたが、同じく140チームが参加して行なわれた、筑波郡社会人野球大会はベスト8まで勝ち進みました。
 48チーム参加の、伊奈・谷和原親善野球大会は3位となり、東ファイターズ杯は初優勝しました。

 審判活動の方も、少しずつ村外の動向も分かるようになり、茨城県にも軟式野球連盟という組織があり、国体や天皇杯の大会開催、また審判部の組織があることも知りました。
 毎年土浦市で審判講習会が行なわれている情報を得て、土浦市の教育委員会に問い合わせて、春の審判講習会に初めて参加し、個人的参加は昭和56年まで続きました。
 この年から、村の正式な審判員となりました。

 チーム結成5年目の昭和54年は、村の春季大会は3位、秋季大会は組み合わせまでは決まっていましたが、その後長雨が続き結局大会は中止となりました。
 104チームが参加して行なわれた筑波郡社会人大会は、決勝戦でニュースパイダースに敗れたものの、準優勝しました。
 また、伊奈・谷和原親善大会は優勝、分譲住連の春季大会3位、秋季大会優勝を飾りました。

 この年の春季大会の決勝戦は、昭和50年から4連覇中の常陽観光対コンドル戦となり、延長13回まで戦い、結局常陽観光が1対0で勝ち5連覇を達成しましたが、私は初めてこの試合の球審を務めました。

 伊奈村で私が選手として活動したのは10年間ですが、ここではその内の5年間のチーム成績や私の個人成績などについて、表でまとめてみます。
 次回NO18号では、後半の5年間について同様にまとめ、草野球の選手時代の話を終わりたいと思います。

ヤイターズ年度別勝敗表
試合 引分 勝率 得点 失点 安打 三振 四球 部員数
50 9 4 4 1 .500 50 63       36
51 30 20 9 1 .724 183 83 202 128 127 28
52 31 25 6 0 .806 160 57 207 127 111 21
53 27 15 10 2 .600 115 63 169 91 61 19
54 21 18 3 0 .857 134 42 141 82 72 15
  118 82 32 4 .719 642 308 719 427 371  

 私自身の部門別の個人成績を下記します。

 昭和51年:打率・4割5厘(1位)、出塁率・5割4分6厘(2位)、得点・35(1位)、四球・19(2位)。本塁打・5本(1位)、盗塁・24(1位)、

 昭和52年:打率・3割7分6厘(1位)、出塁率・5割2分1厘(1位)、得点・30(1位)、四球・13(3位)、本塁打・4本(1位)、盗塁・43(1位)、

 昭和53年:打率・3割2分9厘(2位)、得点・25(1位)、打点・12(2位)、本塁打・5本・(1位)、盗塁・23(1位)、

 昭和54年:打率・3割6分3厘(1位)、出塁率・5割4分3厘(1位)、得点・32(1位)、四球・12(3位)、本塁打・3本(1位)、盗塁・25(1位)

 次回NO18号では、後半の5年間についてまとめ、草野球時代の話は終わりにしたいと思います。

(平成15年4月29日・記)



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