野球の起源と歴史&審判活動記録

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放棄試合の記録

 日本における放棄試合の記録は、プロ野球ではグラウンド上においてのトラブルが原因となったものは、5試合が記録として残っています。(没収試合は2試合)社会人野球と大学野球では、グラウンド上でのトラブルが原因での放棄試合はなく、選手の登録ミスなどのよる没収試合として社会人野球で3試合、大学野球で数試合が記録として残っています。
 
 高校野球ではグラウンド上で起こったトラブルが原因の放棄試合は、3試合が記録として残っていますが、大差の試合展開となり選手の病気やけがなどによって交代選手がいなくなり、チーム自らが試合の放棄を申し出たものなどがあり、中等学校初期時代以降、地方大会などを含めた各種大会(春季・秋季)等を併せると、このようなケースでの放棄試合は現在までに、数多く記録されていることと思われます。
 以下、把握している範囲での放棄試合の記録を示します。
 
≪プロ野球≫
 昭和21年9月27日(1946年)セネタース対金星(西宮球場)球場周辺が青天にも拘わらず、セネタースの宿舎付近が雨だったため、試合が中止になると思い込み、選手が球場に姿を見せなかったために没収試合となった。

 昭和22年6月6日(1947年)阪急ブレーブス対南海ホークス(後楽園球場)球場周辺が青天だったにも拘わらず、阪急ブレーブスの宿舎付近が雨天だったため、試合は中止になると思い込み、選手が球場に姿を見せなかったために没収試合となった。

 昭和25年8月14日(1950年)南海対大映15回戦(県営富山野球場)9回裏、無死二・三塁から大映の打者の打球を、南海の中堅手黒田がワンバウンド捕球したとみなし、審判員は安打と判定した。
これに対して鶴岡監督を始め南海の選手は直接捕球したと抗議、40分後に主審が試合の再開を促したにも拘わらず、南海の選手が守備に就くことを拒んだため、放棄試合が宣告された。

 昭和29年7月25日(1954年)阪神対中日13回戦(大阪球場・ナイター)延長10回、阪神の真田が2-2後に振った球を捕手河合が直接捕球したか否かで、藤村富美男選手が杉村球審に抗議、その際に審判に暴言を吐いたとして退場を宣告された。

 しかし、藤村は退場宣告をよく理解していなかったのか、その裏の打席に立とうとした。藤村の退場について、十分な説明がなされていないとの理由で、観客の阪神のファンが抗議するなどで、収拾がつかなくなったことから、主催者の阪神に責任があるとして、審判団は没収試合により中日の勝利とした。

 この件で、セントラルリーグ野球連盟は、試合管理不十分として、タイガースの松木謙治郎監督に出場停止5日間と制裁金3万円、藤村助監督に対しては「騒動の発端を招いた責任は重大」として出場停止20日間と制裁金5万円を科す処分を下した。

 昭和42年9月23日(1967年)阪神対大洋24回戦(甲子園球場)1回表の大洋の攻撃、二死満塁で打席に入った9番打者の森中千香良(当日の大洋の先発投手)が2ストライク後の投球を空振り。

 その球を阪神捕手の和田徹がショートバウンドで捕球し、三振バッターアウトが成立したと勘違いをして攻守交代と思いこみ、そのボールをマウンド付近へ転がした。それを見た大洋ベンチが打者森中に「降り逃げが成立するから一塁へ走れ」と指示、三塁走者の松原がホームインして大洋に追加点が入った。

 この間のプレーについて阪神監督の藤本定義が「打者アウトでスリーアウトチェンジではないか」と大谷審判員に抗議し、その際に胸を突いて退場させられた。その後、阪神が試合の続行を拒否したために、放棄試合が宣告された。

 昭和46年7月13日(1971年)阪急ブレーブス対ロッテオリオンズ(西宮球場)7回表のロッテの打者江藤慎一の三振の判定を巡り、三塁コーチの矢頭高雄が抗議し、球審の砂川に暴行を働いたため退場となった。

 またロッテベンチも監督の濃人ら首脳陣が抗議を続けたが、受け入れられなかった。その後、ロッテは試合続行を拒否した(オーナーの中村長芳が「こんな審判の下では試合は出来ないから止めよ」と言う鶴の一声などもあり)ため、放棄試合が宣告された。

 昭和42年9月23日の阪神対大洋戦の放棄試合を受けて、1968年に放棄・没収試合は厳禁という規定ができたことと、この試合は阪急の主催試合であったため、ロッテ球団はNPBに制裁金200万円、阪急球団に賠償金として約300万円、合計約500万円を支払うことになった。

 この責任を取り濃人監督は二軍に降格となり、事態の発端を作った江藤もシーズン終了後に大洋にトレードされた。この試合は、日本のプロ野球における最後の放棄試合(没収試合)となった。

 なお、上記6試合以外に、戦後の混乱期における登録ミスなどによる没収試合が4試合記録されている。

 また、昭和43年(1968年)に、ウエスタン・リーグの中日ドラゴンズ対西鉄ライオンズ戦で、審判の判定を不服として中日ドラゴンズが試合続行を拒否したものと、昭和55年(1980年)に、阪急ブレーブス対南海ホークス戦で、審判の判定の遅れを不服として南海ホークスが、試合続行を拒否した2試合が放棄試合の記録として残っている。

≪社会人野球≫
 平成18年(2006年)3月25日に行われた、第41回福岡県野球連盟会長杯の春季大会1回戦、福岡美咲ブラッサムズ対沖データ・コンピューター教育学院戦(沖データの勝利)、同年5月9日に行われた第60回JABA九州大会の2回戦、セガサミー対沖データ・コンピューター教育学院戦(セガミサーの勝利)、平成19年( 2007年)6月22日に行われた第32回全日本クラブ野球選手権大会東北地区2次予選の2回戦、岩手赤べこ野球軍団対郡山ベースボールクラブ戦(郡山ベースボールクラブの勝利)の3試合は、いずれも未登録選手の出場を対戦チームから指摘され、没収試合が宣告されている。

≪大学野球≫
 平成16年(2004年)5月8日に行われた、関西学生野球春季リーグ1回戦の同志社大学対関西大学戦(同志社大学の勝利・未登録選手の出場)、平成18年(2006年)9月7日に行われた、京滋大学野球秋季リーグ3回戦の京都学園大学対花園大学戦(一度は花園大学の勝利が宣告されたが、原因が対戦校マネージャーのメンバー表への記入ミスだったことが分かり、後日再試合となる)、同年10月9日に行われた、北東北大学野球秋季リーグの1部・2部入れ替え戦の八戸工業大学(1部)対青森中央学院大学(2部)戦、(八戸工業大学の勝利・メンバー表に選手の名前を誤記入)

 同年10月22日に行われた九州大学野球選手権大会(明治神宮野球大会大学の部への出場をかけた試合)予選トーナメント決勝、九州共立大学対日本文理大学戦(日本文理大学の勝利・元プロ野球選手による試合中の指導)、平成19年(2007年)9月15日に行われた千葉県大学野球連盟2部秋季リーグの千葉商科大学対千葉工業大学戦(千葉工業大学の勝利・未登録選手の出場)の5例が記録として残っている。

≪高校野球≫
 昭和28年7月24日(1953年)第35回全国高校野球選手権・滋賀県大会予選
 滋賀県彦根市の彦根球場で、彦根東高校野球部員が試合中に、審判員が判定を覆したことに猛抗議し、グラウンドに座り込み、観客の数百人もビンを投げ込むなど不穏な状況となったため警官隊が駆けつけ2時間半後に試合を再開させたが、彦根東は試合続行を拒否したため没収試合となり9-0で敗退した。高校野球での放棄試合は全国初となった
 
 昭和34年(1959年)7月26日・第41回選手権・西中国大会島根県予選準決勝。大田高校対大社高校戦(大田市民球場)前日行われた同じカードが日没再試合となり、大会本部は午後1時に再試合を開始する予定であったが、前日に判定トラブルがあったため大社高校側が、
(1)審判員を全部入替えること(2)大田高校の木下監督を今後の試合に出場させないこと(3)主催者側の謝罪要求、など3つの条件を持出したために紛糾。主催者側は4時間にわたって協議、時間を繰り下げても再試合の実現に向け努力したが、大社側は要求を強く主張したため折合いがつかず大会本部で午後5時5分に増野主審のプレーボールを宣言させて試合の強行をはかった。しかし大社ナインはついにベンチから出ず、規定の5分間を過ぎて、主審は大社の放棄試合を宣告した。

 昭和44年(1969年)7月25日・第51回選手権・長野県大会1回戦
 長野高校対丸子実業高校戦(上田市営球場)4対4のスコアで延長戦に突入。11回表2死1・2塁、打者の3塁線の安打で2点が入って均衡が破れたが、この打球に対して丸子実高側がファウルを主張し、スタンドから数人が乱入し約20分間試合が中断した。

 結局判定は覆らず再開されたが、今度は丸子実高側が日没再試合狙いの遅延行為に出た。
 このため午後6時45分に丸子実高に没収試合が宣告されたが、この処置に丸子実高側の観衆の一部が激昂し、スタンドに放火、球場設備を壊すなどの暴動となったため警官隊が出動し、逮捕者2名を出して午後9時30分頃に収束するという不祥事に発展した。
 当時の高野連会長の佐伯達夫は、丸子実業高校に対して2年間の対外試合禁止処分を課した(11ヶ月後に解除)。

 平成2年(1990年)4月2日・愛知県高校野球春季大会・知多地区2次予選1回戦 常滑北高校対東浦高校戦(東浦高校グラウンド)審判の判定をめぐり、高校野球では前代未聞の放棄試合となった。

 ハプニングは4回、1-4とリードされていた常滑北の攻撃中に起こった。
 無死一塁で、打者がカウント2-0からバントの構えをしたが、投球が打者の左足に当たった。しかし、藤内慎二球審は投球をよける意思がなかったうえ、バットを引かなかったとして三振を宣告した。

 常滑北は、加藤俊彦部長が「死球だ」と抗議したが認められなかったため、選手全員がベンチに集まった後、試合を続行しようとせず自からホームプレート付近に整列した。
 このため藤内球審は「常滑北の放棄試合」を宣告、試合は東浦高校の勝利となった。


 (2010年3月15日)


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