野球の起源と歴史&審判活動記録

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トラブルの記録・プロ野球編(2)(1975年~)

≪昭和50年(1975年)4月11日・広島対中日(広島市民球場)≫
 9回表、中日の攻撃で一死満塁、打者木俣で2-2からの投球にボールの判定に投手宮本が激昂、マウンド上からグラブを投げ捨て、原田球審に詰め寄り飛び蹴りし退場第1号。

≪昭和50年7月3日・巨人対中日(札幌円山球場)≫
 中日1点のリードで迎えた9回裏巨人の攻撃、一死一塁で打者ジョンソンの打球は二塁ライナー、打球につられて一塁走者の王が飛び出し併殺、この時一塁手の足がベースから離れていたと巨人から抗議があった。冷静さに欠けた審判の判定で大もめとなった。

≪昭和50年7月3日・巨人対中日(札幌円山球場)≫
 6回中日の攻撃、一死一・三塁で飯田は三塁ゴロ、三塁走者高木は三・本間に挟まれ関本にタッチされアウト。このタッチが「アゴに当たった。気を付けろ」と関本に文句を付けた。その瞬間関本はグラブをはめた左手で強烈なストレートパンチ。
 中日の新宅が関本目がけて飛び蹴り(空振り)するなど、一時は険悪な空気となった。

≪昭和50年7月26日・広島対中日(中日球場・夜間)≫
 照明塔の故障から、1回を終わったところで中止になった。土曜日の夜をナイターで楽しもうと集まっていたファンが怒り出し、数千人がグラウンドに下りて騒いだ。

≪昭和50年9月10日・広島対中日(広島市民球場・夜間)≫
 最終回広島の攻撃で、同点の走者が本塁突入の際のタッチプレーをめぐって興奮したファン数百人がグラウンドになだれ込むなど大騒動となり逮捕者が出た。
 中日選手送迎用のバスが壊され、中日の選手は約1時間球場内に閉じ込められた。

≪昭和51年6月17日・阪急対日本ハム(後楽園球場・夜間)≫
 5回裏、阪急竹村投手の上垣内に対する死球をきっかけに、同投手を殴ったり突き飛ばしたりしたため、大沢監督とウイリアムスが退場処分となった。

≪昭和53年8月21日・ヤクルト対大洋(神宮球場・夜間)≫
 5回裏、マニエルの一塁ゴロがファールかフェアかなどの判定をめぐって試合が49分間中断された。最初はフェアを宣告したが、ヤクルト広岡監督の抗議でファールに判定を覆したための、トラブルとなり大洋側は怒り、あわや放棄試合の様相を呈した。

≪昭和53年10月22日・ヤクルト対阪急・日本シリーズ第7戦(後楽園球場)≫
 ヤクルトが1-0とリードして迎えた6回裏の攻撃で一死後、大杉が1――のカウントから強打、打球はライナーとなって左翼ポール際に飛んだ。左翼の富沢線審はホームランをコールしたが、阪急上田監督から執拗な延々1時間19分にわたる抗議があった。
 上田監督は試合再開の条件として、左翼線審の交代を要求したが受け入れられなかった。

≪昭和54年5月10日・ロッテ対近鉄(川崎球場)≫
 8回裏、近鉄一死一塁の攻撃で、栗橋の中飛を江島中堅手が一度グラブに入れながら落球した。前川二塁塁審は確捕していないとしてフェアのコール。この判定をめぐって19分間試合が中断した。

≪昭和57年8月31日・大洋対阪神(横浜球場・夜間)≫
 試合は1点を争う緊迫した展開。7回表阪神の先頭打者藤田の打球は、三・本間の飛球。
 石橋三塁手が捕球の構えをしたが、打球はフェアーゾーンに落ちたあとファールゾーンに転がった。鷲谷・三塁塁審は「ファール」と判定した。しかし「三塁手のグラブが打球に触れているからフェア」と阪神の安藤監督やコーチ陣が飛び出して同塁審に詰寄った。
 このあとコーチ陣が突然暴れ出し、岡田球審をはじめ審判団に、殴り、蹴飛ばし、ひざ蹴りやパンチを浴びせた。
 当初の処分として、島田・柴田の両コーチは傷害事件として書類送検され、連盟から永久追放処分となった。

≪昭和58年6月2日・西武対阪急(西武球場・夜間)≫
 3回裏二死後、カウント2-3から、スティーブへの投球は外角低めのきわどい球。スティーブはボールと思って一塁へ歩きかけたが、村越球審の判定はストライクで三振。
 悔しがったスティーブはバットをベンチに放り投げたが、そのバットの一部が球審に当たったため退場処分となった。退場に納得しない西武の抗議で、27分間の中断となった。

≪昭和60年7月27日・阪神対中日(甲子園球場・夜間)≫
 3-3で迎えた7回表中日の攻撃で、一死一塁から平野が盗塁を試みたが、二塁塁審の手沢は野手が落球しているにも関わらず判定はアウト。中日の強い抗議も受け入れられず16分間の中断ののち、試合は再開された。

≪昭和60年9月9日・巨人対大洋(後楽園球場・夜間)≫
 4回表大洋一死二・三塁で、打者村岡の打球はワンバウンドで一塁手を越え、一塁線へ飛んだ。この打球に対して平光一塁塁審は、打球を避けながら右手をファールグラウンドへ指し出した。フアールと思った巨人ナインの動きは止まり、この間に二・三塁走者は生還。
 その直後、平光塁審は今度は「フェア」と改めてジェスチャーした。
 平光塁審から「フェアのジェスチャーをしたつもりだったが、体の向きが変わっていて、フアールのように見せてしまった。私のミスです」と説明があり、10分間の中断で試合は再開した。

≪昭和60年9月12日・巨人対中日(後楽園球場・夜間)≫
 8回裏巨人の攻撃、一死一・三塁で打者山倉のカウントは1-3、鹿島の投じた5球目。
 外角高めのカーブに山倉のバットは止まったかに見えたが、球審から一塁松下塁審へのリクエストは「スイング」。王監督が物凄い形相で抗議したが、受け入れられず山倉は三振。

≪昭和61年6月13日・西武対近鉄(西武球場・夜間)≫
 6回表近鉄の攻撃で、東尾投手から右ひじに死球を受けたことに怒ったデービスは、東尾投手に殴りかかり退場処分となった。後日デービスは、出場停止10日間の処分。

≪昭和62年5月19日・ロッテ対近鉄(川崎球場)≫
 9回裏ロッテの攻撃で、石本が佐藤健に投げた2-3からの7球目を、ボールと判定されたことに激怒した近鉄の岡本伊三美監督は、永見球審に対して3分間の大立ち回りの暴行を働き、退場処分となった。

≪昭和62年6月11日・巨人対中日(熊本球場)≫
 7回巨人の攻撃中、クロマティが宮下投手から背中へ死球を受けた。
怒ったクロマティは、小林球審の制止を振り切ってマウンドへ走り、宮下の顔などを殴りつけた。双方のベンチから選手が飛び出し、険悪な状態となって試合は5分間中断した。

次回に続く


 (2010年5月15日)


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