野球の起源と歴史&審判活動記録

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トラブルの記録・プロ野球編(3)(平成元年~平成10年)

≪平成元年5月31日(1989年)ヤクルト対阪神(神宮球場)≫
 6回裏ヤクルトのパリッシュに対する阪神渡辺の左上腕部への死球からもみあいとなり、両軍ベンチもエキサイト。パリッシュ退場後の次打者へも渡辺は顔に近いところに投球し、
再び両軍入り乱れてのもみ合いとなり4分間中断、渡辺も危険球で退場処分となった。

≪平成元年9月23日(1989年)西武対ロッテ(西武球場)≫
西武の清原は4回に初球の内角直球を左ひじに受けて激昂。バットを投げて平沼投手の左太ももにぶつけたあと、マウンドへ行き右跳びひざげりを浴びせた。
 パ・リーグは清原に対し、厳重戒告と罰金30万円、24日から2日間の出場停止処分が下された。

≪平成2年4月7日(1990年)ヤクルト対巨人(東京ドーム)≫
 3-1とリードされた8回裏の巨人の攻撃、無死走者2塁の場面で、篠塚の打った右翼ポール際の打球に対して、大里一塁塁審はホームランの判定。
 巨人はこの一打で同点に追いつき、延長14回裏に押し出し四球でサヨナラ勝ちした。
 このホームランは「灰色」の2ランと云われ、正しくはファールであったと思われる。

≪平成2年4月14日(1990年)広島対巨人(広島市民球場)≫
 6回裏、広島無死一塁、打者ヤングの遊ゴロを川相がファンブルして一塁送球、微妙なタイミングであったが、アウトの判定に怒った山本監督が谷一塁塁審に猛抗議。
 このとき両肩を押したため、谷塁審は山本監督に対して退場を宣告した。

≪平成2年4月24日(1990年)日本ハム対近鉄(東京ドーム)≫
 6回表近鉄2死二塁、新井の中前打で二塁から金村がホームを突いたが判定はアウト。
 しかしボールは捕手田村の右腕に挟まれていたので、中西コーチらが激しく抗議した。
 中西コーチが山崎球審の胸を小突き退場処分となった。

≪平成2年4月28日(1990年)オリックス対近鉄(西宮球場)≫
 近鉄8回表二死、打者トレーバーはカウント2-2から、山沖の4球目の内角低めの球をストライクと判定されて激昂。球審の小寺に猛烈な抗議と激しい口調に退場処分となる。

≪平成2年5月3日(1990年)阪神対ヤクルト(甲子園球場)≫
 7-7の同点で迎えた7回阪神の攻撃で、大野の送りバントがフェアかファウルかの判定をめぐって、ヤクルトの野村監督が田中球審に猛烈な抗議を行い13分間中断した。

≪平成2年5月6日(1990年)大洋対阪神(横浜球場)≫
 8回大洋山崎の本塁突入をセーフと判定したが、捕手の島田宗はブロックしていたと抗議、大里球審を突いたのに退場コールをせず、大洋・須藤監督から退場選手についてクレームがあった後、審判団協議の末に島田を退場させるという、前代未聞の珍退場となった。

*セ・リーグの川島会長は5月24日、さる中日対巨人戦の微妙なジャッジを行った、田中俊幸審判員(49)を二軍に降格させると発表。

*開幕戦の巨人対ヤクルト戦で、微妙なホームランの判定をした大里晴信審判員(58)は、連盟事務所を訪れて、心労を理由に休養を申し出て受理された。

≪平成2年5月24日(1990年)中日対巨人(名古屋球場)≫
  3回裏の中日の攻撃の際に騒動があり、その騒動が収まりかけたところへ巨人ベンチからのヤジなどがあり、再び騒動が大きくなった。江藤コーチに暴力行為を働いた中日・ディステファーノに退場処分が下された。 
5月25日に連盟から星野監督に厳重注意、ディステファーノに史上最高の制裁金100万円が科された。

≪平成2年6月24日(1990年)大洋対広島(横浜球場)≫
9回表、大洋大門投手の初球が右打席のアレンの背後を通過したことに激怒、逃げる大門を左翼フェンス付近まで追いかけたのがきっかけとなり、両軍入り乱れて騒然となった。
アレンは「騒動の原因をつくる行為」と判断して、平光球審が退場処分を宣告した。

≪平成2年6月23日(1990年)西武対ロッテ(西武球場)≫
  7回裏西武の攻撃で、ロッテ園川のボークをめぐって、ロッテ・金田監督が高木球審に暴行を働き退場処分となった。
 パ・リーグは金田に対し「アピール範囲逸脱」と、制裁金100万円と1カ月の出場停止処分を科した。

≪平成2年8月8日(1990年)近鉄対ダイエー(藤井寺球場)≫
  8回近鉄の攻撃で無死二・三塁、金村の左翼線への打球を前田左翼線審は「フェア」、村田三塁塁審は「ファウル」とダブルコールの判定となった。
協議の結果「ファウル」として試合を再開したが、近鉄の仰木監督が村田塁審に暴言を吐き退場となった。(後日、仰木監督に制裁金5万円が科された。)

≪平成3年5月10日(1991年)日本ハム対ロッテ(東京ドーム)≫
 7回、山崎球審の投球判定に対して、ロッテ金田監督がバカ野郎と暴言を吐き退場。
(後日連盟から5万円の制裁金。)

≪平成3年6月29日(1991年)中日対巨人(ナゴヤ球場)≫
  2回表巨人の攻撃で、福井一塁塁審の右翼ポール際の打球判定の変更で、11分間の
試合中断。

≪平成3年8月28日(1991年)近鉄対オリックス(藤井寺球場)≫
  両チーム監督の抗議に、球審村田の判定が二転・三転の大失態。21分間の試合中断。

≪平成3年9月8日(1991年)日本ハム対近鉄(東京ドーム)≫
  日ハム9回裏の攻撃時、打球判定に対し小林一球審が判定を覆したために大トラブルに発展。33分間の試合中断。

≪平成4年9月11日(1992年)阪神対ヤクルト(甲子園球場)≫
 阪神9回裏、八木の打球を平光二塁塁審はホームランと判定したが、ヤクルトの抗議により判定が覆り、二塁打となり幻のサヨナラ弾となった。試合中断は37分間。

*平成5年5月8日(1993年)セ・リーグ山本審判部長が「休養届」を提出。

≪平成5年6月6日(1993年)広島対ヤクルト(広島市民球場)≫
 7回表一死三塁から池山が本塁突入の際、捕手西山が小突いたことから両軍総出の乱闘騒ぎとなった。広島の捕手西山が暴力退場処分。

≪平成5年6月8日(1993年)巨人対ヤクルト(富山市民球場)≫
 1回表、本塁上のクロスプレーを巡り、両軍選手が大乱闘。試合は13分間中断。

≪平成6年4月13日(1994年)広島対ヤクルト(広島市民球場)≫
 4回表ヤクルトのクラークは、広島の佐々岡投手の死球に激昂。暴行を働き退場処分。
連盟は暴力行為を行ったクラークに制裁金30万円と1週間の出場停止処分を下した。

≪平成6年5月1日(1994年)阪神対巨人(甲子園球場)≫
 8回阪神の攻撃で久慈が死球と判定されたが、抗議によって撤回されたことで、審判の判定を不服として、暴言を吐いた中村監督は退場処分となった。試合中断は5分間。

≪平成6年5月11日(1994年)ヤクルト対巨人(神宮球場)≫
 死球合戦の様相を呈し、3人の退場者を出す大荒れの試合となった。
 事態を重く見た川島セ・リーグ会長は、暴力行為の発端となった西村とグラッデンを連盟事務所に呼び、事情聴取を行うことになった。

≪平成6年5月22日(1994年)中日対阪神(ナゴヤ球場)≫
 5回裏中日の攻撃で、本塁での森球審のアウトの判定を巡り、中日からの猛烈な抗議で試合が中断、乱闘騒ぎ寸前となった。試合は4分間中断した。

≪平成6年9月29日(1994年)横浜対阪神(横浜球場)≫
 8回表二死二・三塁で、一塁でセーフの微妙な判定に激怒した横浜近藤昭仁監督は、笠原一塁塁審へ暴行を働き退場処分となった。両リーグで25人目の退場となる。

≪平成7年7月12日(1995年)日本ハム対近鉄(東京ドーム)≫
 6回表近鉄一死から、中村紀の打球を小林晋右翼線審は二塁打と判定後に抗議があり、審判団協議の結果ホームランに判定を覆したためトラブルに発展。17分間の試合中断。

*パ・リーグは、12日の日ハム対近鉄戦に関し、右翼線審であいまいな判定をした小林晋審判員(49)に対して「厳重戒告、当該試合の出場手当の半分減額の処分が下され、さらに球宴終了時(7月26日)まで一軍公式戦の出場停止とファーム研修が命じられた。

≪平成8年5月1日(1996年)中日対巨人(ナゴヤ球場)≫
 5回裏ガルべスの危険な投球を巡って両チームで大乱闘となり、騒動を起こしたガルべスと山崎が退場処分となったが、あわや放棄試合の様相を呈した。32分間の中断。
 ガルべス、山崎に罰金10万円、巨人長嶋監督に厳重戒告。4人の審判員には厳重注意処分が科された

≪平成8年5月15日(1996年)日本ハム対西武(東京ドーム)≫
 4回表西武の攻撃で一死から森の放った打球に対して、本塁打―二塁打―三塁打と判定をめぐっての大トラブルに発展。この試合は、トータルで29分間の中断となった。

*パ・リーグは中堅審判員の篠宮審判員を、技術未熟を理由に契約を打切ると発表した。

≪平成9年6月5日(1997年)中日対横浜(岐阜県営球場)≫
  ストライクの判定に執拗に抗議した中日の大豊内野手を退場処分とした際、同選手から胸を突かれたことが原因で、米リーグから派遣されていたディミュロ審判員が辞任。

≪平成9年6月7日(1997年)ロッテ対西武(千葉マリン)≫
 4回ロッテが同点としたあとの二死満塁で、打者松本は2-0からの直球を見逃したが、村越球審の判定はボール。このあとのイニング交代時に東尾監督に「ストライクをボールと言ってしまった」と誤審を認める前代未聞の珍事発言をした。

*誤審を認めた村越審判員は、2週間の再研修処分で二軍落ちを命じられた。

*15日の判定をめぐり、「巨人のユニフォームを着た審判が敗因だ」と発言した広島の三村監督に、川島セ・リーグ会長は制裁金20万円を科した。

≪平成10年7月31日(1998年)阪神対巨人(甲子園球場)≫
 巨人先発のガルべスが橘球審の判定にいらだちを見せていたが、6回に猛烈に抗議をしたあと交代を命じられて、引きあげ際に橘球審のいる方向へボールを投げ、侮辱行為で退場処分となったが、連盟は今季一杯の出場停止を、また球団独自で無期限出場停止とした。

≪平成10年8月2日(1998年)阪神対巨人(甲子園球場)≫
 8回巨人の槇原が死球を与え、大熊コーチが槇原にひざ蹴りを見舞ったが、これを合図に両軍入り乱れての大乱闘になった。2度にわたる乱闘で武上、大熊両コーチが退場処分。

≪平成10年8月3日(1998年)阪神対巨人(甲子園球場)≫
 6回二死二塁、高橋の一塁ゴロを一塁手のジョンソンがさばき、ベースカバーに入ったメイ投手へ送球したが、タイミングは完全にアウトだったが、一塁塁審の杉永はセーフの宣告。メイは杉永塁審に抗議し体当たりをしたことにより退場処分。

*11年度以降は資料が未整理のため、この項は平成10年度までで終わりとします。


 (2010年6月1日)


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