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《 番外編・軟式野球と高校野球関係の小さな記録・事件・事故など 》《昭和31年7月31日・北関東大会高校野球決勝戦・足利工業対藤岡高校戦》 二死満塁で7番打者の織茂が打った痛烈な一塁ゴロを野手がファンブルして三塁走者はもちろんサヨナラ打を打った打者も一塁にかけ込んでゲームセットと思わせたが、一塁走者の大山が二塁へ走り込むのを途中でやめ"勝った"と手を叩いて喜んでいた。 呆然とする足利工ナインの中でただ一人二塁手の小川がこれをみつけ、すかさず一塁の小林から球を受取り二塁にフォースアウト、これでせっかく「コウシエ」まで行った藤岡高校は、結局終りの「ン」がつかず、延長21回足利工業に1点を入れられて敗れ去った。 アメリカの大リーグでも1908年のナショナルリーグのペナントレースで、ジャイアンツのマークル選手が対カップ戦に同様のミスを犯した「マークル事件」は有名である。 《昭和34年8月27日・福島県秋季高校野球会津地区予選・1回戦》 《昭和46年6月27日・中堅手"死の前進"飛球追い二塁手と激突》 向島署の調べでは、中久木さんのアゴと桐山さんのヒタイが鉢合わせになって、中久木さんのアゴの骨と口の骨が折れた。中久木さんはこの日、たまたまメンバーが1人足りなかったことから、かり出されたもの。 《昭和51年7月23日・16人から連続三振・長崎海星高校の酒井投手》 《昭和52年7月19日・雷が審判員を直撃・帽子の金具に火柱》 同日午後2時15分ごろ、東京都杉並区上井草3丁目、都立上井草運動場で開かれていた第32回国民体育大会軟式野球競技少年の部、都予選準決勝第1試合の試合中、突然パシッという音とともにグラウンドに青白い火柱が走った。 一塁ベースの約4メートル後方で塁審をしていた埼玉県蕨市北町4丁目、会社員・吉田武治さん(46)が仰向けに倒れ、近くの病院に運ばれたが午後2時55分に死亡した。死因は頭から左上腕へかけての電撃傷で、かぶっていた審判帽の後ろの部分三カ所がタテに5~6センチ裂けていた。 《昭和55年7月11日・草野球過熱「監督は不まじめ」と暴行、重体・助監督を逮捕》 店主の話などから暴行を加えたのは同所3丁目の板金工、友利彰(26)とわかり、同署は友利が自宅に帰ったところを、傷害の疑いで緊急逮捕した。同署の調べによると伊藤さんは草野球チーム「クリスタル・アリーズ」の監督で、友利は助監督、調べに対し友利は「監督は酒を飲んで試合に来たりするなど不まじめな態度が多かった。チームをやめたい」と言ったら、「勝手なことをいうと、この辺の草野球に参加できないようにしてやるぞ」と言われ、カッとなり殴った」という。 アリーズはこの日も多摩川河川敷で大田区内のチームと対戦、10-1で負けた。殴られた伊藤さんは12日午後零時35分、膵臓破裂のため品川区内の病院で死亡した。 《昭和55年10月30日・川崎球場・空振りバット20メートル飛び観戦の少年直撃》 《昭和57年8月11日・帯広農高対益田高戦で前代未聞・4死チェンジ事件》 《昭和58年6月25日・埼玉県立川越農高でピッチングマシンの球が頭を直撃死亡》 《昭和58年7月27日・第65回全国高校野球選手権福島県大会予選》 《昭和58年9月20日・全日本軟式野球決勝で珍事・延長45回》 《昭和59年5月5日・プロ野球二軍戦で練習中、バットが折れて観客席に飛び怪我》 《平成元年7月13日・野球試合中の激突で半身不随・PL出身の清水選手が賠償請求》 《平成元年7月16日・第71回全国高校野球選手権神奈川県大会2回戦》 《平成2年6月17日・包丁で審判を刺す、少年野球に酔っ払い乱入・2人重軽傷》 選手や父母ら約120人が見守る中での犯行で、男は通報で駆けつけた茅ヶ崎署員に傷害の現行犯で逮捕された。男は近くに住む無職・荒木義信(52)で、運動場外で酒を飲み2試合目からグラウンドの中に入ってヤジを飛ばすなど妨害をしていた。 審判は参加選手の父親らが交代で務めており、加藤さんは一塁塁審、石村さんは主審を務めていた。 《平成5年7月1日・第75回全国高校野球選手権北北海道大会・釧根支部予選2回戦》 《平成6年5月12日・背中に死球を受けた生徒が死亡・千葉県柏市》 番場さんは一塁まで走りベース上で倒れた。救急車で病院に運ばれたが、既に死亡していた。千葉県警柏署の調べでは、死因は外傷性ショック死。番場さんには特に持病はなかったが、ボールが心臓の近くに当たったため、ショックが大きかったらしい。 《平成6年7月19日・打球が頭部直撃、球児死亡・兵庫県社高校》 《平成6年10月9日・タイ選手、日本戦でライナー捕れず顔面直撃》 《平成17年(月日不明)・猛特訓3時間、中2死亡・試合敗退「ぺナルティー」》 過度の練習が影響したとみられ、田辺署は当時の状況について、指導していた男性の総監督(63)らから事情を聞いている。関係者によると、この生徒は1日に同府宇治市で開催された少年野球大会に出場。 試合後、総監督はチームの約20人に対し、「ぺナルティーをする」と言い、午後4時半から、河川敷グラウンドに移動、約1時間のミーティングの後、練習を始めた。 この生徒を含む投手、捕手の計6人は、ストライクが連続10球入るまで投球練習。この生徒は約1時間投げさせた。さらに6人に20メートル走100本、30メートル走100本をこなした後、土手の堤防ののり面を利用した「坂道ダッシュ」(約8メートル)300本をしていたが、約200本目に入った午後8時30分ごろに生徒が倒れたという。 生徒は意識がなく、総監督や保護者らがお茶を飲ませたり、体をマッサージしたりしたしかし、回復しないため、病院に運ばれたが、翌2日午後9時58分に死亡した。男子生徒は身長1メートル85、体重90キロで、持病などはなかったという。京都地方気象台によると、1日の京田辺市内の最高気温は28・2度で、平年に比べ約4度高かった。 |
(2010年10月1日) |