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宮下晟審判員を偲ぶ
「宮ちゃん。早すぎるよ」


臼井審判員


 8月9日の午後6時ごろ審判を終えて自宅に帰りついた矢先に携帯が鳴りました。発信者は宮下さんです。

「宮下の娘ですが、父が本日亡くなりました。お通夜は15日、告別式は16日です………」
 私は一言「分りました……」とだけしか言葉が出ませんでした。



宮下審判員

審判講習会で
08年2月13日のMBUA・審判講習会の時に写した写真です(2列目中央)



 6月3日に宮下審判員から「胃の具合が悪いので審判を少し休ませてください。検査をしてきます。8日(日)の審判はやります」という電話がありました。

 いろいろ聞きますと、胃が前から痛むという話でした。私は知ったかぶりをしてこんな会話をしました。

「胃が痛むのは多分胃潰瘍でしょう。癌は痛まないです。痛むようなら末期ですよ。癌ではないです。病院でしっかり検査をしてください」
「ええそうします。今、おかゆさんを食べています」
「8日の審判は大丈夫ですか」
「大丈夫です。やります」

 宮下審判員、最後の審判となってしまいました。
 6月8日(日)10時〜12時 江戸川河川敷15面 宮下審判員
 6月8日(日)14時〜16時 江東区亀戸野球場B面 宮下審判員

 検査の結果は、胃がんで転移していまして、手術ができないことを某審判員から聞きました。そして今年いっぱいもてば……ということでした。
「少し持ち直したら近くの温泉に皆で一緒に行こう」と某審判員は言いました。

 
 今年の1月17日に有志と新年会を兼ねて、千葉・南房総の民宿温泉に行きました。宮下さんとは大いに語りあい、飲み、歌いました。そして笑いました。

 皆さん「宮ちゃん、宮ちゃん」と呼んでいますので、私も「宮ちゃん」と呼ぶことにしました。

 宮下さんとは3年余のお付き合いですが、いつもニコニコしながら話します。千葉市内はもとより江戸川周辺にも快く審判に行ってくださいました。

「この前ね。グランドが駐車場から遠いので車に自転車を乗せて行きましたよ」
「いろいろとグランドが分ると工夫していくのが楽しいね」
「仕事の大工は息子がやってくれるので、これからは審判一筋だ。頑張るよ」

 宮下審判員は千葉県軟式野球部、千葉県大学野球審判部に所属しておられ、高校・大学・社会人野球の審判も体験しており経験豊かな審判員でした。

 また、首都圏野球審判協会に入り「1人制審判」にもすぐに慣れました。チームからも人気があり「宮下審判員にお願いします」という依頼メールが何通も着ていました。

 お通夜には、式場に入りきれないほどの人々がおとずれ、宮下審判員の人柄を改めて知ることができました。

「それにしても宮ちゃん。まだ67歳だよ。あと最低10年は審判を一緒にやりたかったよ。宮ちゃん。早すぎるよ。宮ちゃん」合掌。


弔電

ご主人様のご逝去を知り、申し上げる言葉もありません。
奥様をはじめご家族の皆様のお嘆きはいかばかりかとお察し申し上げます。
宮下晟審判員は選手からも、審判仲間からも慕われておりました。
在りし日の宮下晟審判員のお姿を偲び、ここに謹んでお悔やみ申し上げます

首都圏野球審判協会一同   



(2008年9月1日)


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