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平成22年10月4日(月)22時放映 NHKヒューマンドキュメント
「大リーグの審判に挑む44歳オールド・ルーキー」を見て思うこと

K・O審判員


 今春、メジャー昇格の希望を胸にオールド・ルーキーのシーズンが始まった。

 元マイナーの審判であったオールド・ルーキーがパ・リーグ審判になったのは1994年。
1999年、松坂大輔投手デビューの球審等を務めNPBで活躍していたが、メジャーの夢捨てきれず、2003年1月4日再渡米。
 「Jim Evans Academy of Professional Umpiring」へ再入学し、優秀な成績で卒業。
PBUC(プロフェッショナル野球審判協会)と契約しマイナー審判としてデビュー。メジャー挑戦の戦いが再スタートした。

 英語力が充分でなくPBUCとの契約が危ぶまれたが、インストラクターのDick Nelson氏の助力もあったと聞く。

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2A、Southern Leagueのミシシッピー・ブレブズの本拠地Trustmark Park。 3A、Syracuse Batsのホーム、Alliance Bank Stadium。写真:筆者撮影


 悶々としていたオールド・ルーキーの背中を押したのは妻のひと言「人間いつ死ぬか分からない。好きなことをやったほうが良い」だった。

 メジャーまでの道のりは遠く、決して安穏なものではない。
マイナー・デビューしてから7〜10年の歳月を経て、メジャーに上り詰めるのは100人のうち一人くらいという超狭き門である。
月給約24万円。いわゆる「ハンバーガー・リーグ」といわれる審判である。

003 これは試合終了後の、或る晩の食事である。
その名の通りの「ハンバーガー」ではないが、サンドウイッチである。
こういうパンの類などを食す機会が多いマイナー・リーグ審判。
「たまにはステーキが喰いた〜い」と思うのは必然である。
いいや、日本人なら味噌汁、お新香にご飯だけでも充分。
其れもままならず、マイナーで暮らして行くには、ハンバーガーとコーラに慣れなければならないのだゾ。
毎日のことだから大変であるヨ。
オールド・ルーキーは「そんな食は意外と平気だ」と語っていた。
コールアップ・アンパイアーとクルーを組んだ後には分厚いステーキにありつけるかもしれない。もちろん「ゴチ」である。


 プロの審判になるには、先ず審判学校へ入学し、審判としての様々なスキルを磨くことから始まる。
現在、審判学校は二校。ひとつはJim Evans審判学校もうひとつはHarry Wendelstedt審判学校である。
上級プログラムを突破し、PBUCとマイナー契約して始めてメジャーを目指す資格が生まれる。

004 2Aのサザン・リーグ時代のオールド・ルーキーとクルー仲間のアートとクイン。このクラスのメカ二クスは三人制。
ある日突然、スーパーバイザーが来場し、個々の技術やスキルを査定される。
いわば「アラ捜し」であるが、欠点だけでなく良い点も披露される。
そして何より、貴重なアドヴァイスが伝えられ、以降のモチベーション・アップにつながっていく。
今日、我々アマチュアーに最も欠けているのは「ハッスル」であろう。
俊敏な動き、鋭いメカニック、スキルの高揚等、どれを取ってもアンパイアーリングに欠かすことが出来ないものである。


 あのWBCで一躍有名になったBob Davidson#61審判も審判学校に再入学しメジャーを勝ち取った優秀な審判である。
(元々はメジャーの審判であったが、リタイアーしたため再度一から出直した)

メジャーまでの道のりは7段階に分かれている。
(1)ルーキー
(2)ショート・シーズン
(3)ミドルA
(4)アドヴァンスドA
(5)2A
(6)3A
(7)MLB Umpires
7段階

(6)と(7)の間に筆者の独断で「Call up Umpire」を創設したい。
 身分はマイナーであるが、メジャー審判が休暇等で欠場するときメジャーに昇格するいわばメジャー予備軍だ。
 オールド・ルーキーの僚友バリー、来季はこのクラスへ昇格するであろう・・・。幸運を祈る。

  スーパーバイザーの査定をクリアーし、その叱咤激励に奮い立ち一歩一歩階段を上っていくのである。
3Aではクルー毎に様々なメカニクスやスキルの創意工夫がなされ、メジャーを見据えたモチベーションの向上も図られているようだ。

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昨年、3Aに昇格し球審として試合前ののプレート・ミーティングに臨むオールド・ルーキー。 昨年7月26日、NY北西部、シラキュース市のAlliance Bank Stadiumでは一塁審を担当した。
左はCrew ChiefだったR.J.写真:筆者撮影


 昨年の9月24日に日本人初の3Aへ昇格し、International Leagueに所属。27日のトレド対コロンバス戦で一塁デビュー。
そして、今年(2010年)の4月1日、念願のメジャー・デビューを果たした。
その舞台はアリゾナ・メサのコロラド・ロッキーズ対シカゴ・カブスのSpring Traininng。審判は三人制で、三塁に就いた。

 メジャー初コールはカブスの右翼手、福留孝介選手からの送球で打者走者を二塁で「He's Out!」と見事なコール。


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2010年4月1日、カブス対ロッキーズのスプリング・トレーニング前にWill Robinsonと記念撮影。
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三塁からスライドし、打者走者を二塁で「He's out」のメジャー初コールをした。写真:yahooスポーツより


 4月3日のインディアンズ対レッヅ戦ではメジャー初のマスクを被り、メジャーの空気を胸いっぱいに吸い込んで楽しんだことであろう・・・。
オープン戦とはいえ日本人審判の快挙であり、夢のメジャー・デビュー間近と期待された。

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オールド・ルーキーの同期にはアメリカン・リーグで活躍する#58Dan Iassogna氏がいる(写真右)
日本に一時帰国しないでそのままマイナーで活躍していたなら今頃はメジャーの舞台に立っていたかも・・・。


 しかし、「首のヘルニア」で後半戦の欠場を余儀なくされたオールド・ルーキーの今シーズンが終了した。
そして、切望していた「Fall League」の選出にもれた・・・。

 その様子が先日(10月4日)のNHK総合TV「大リーグの審判に挑む44歳、オールド・ルーキー」として全国に放映された。

 ハンバーガー・リーグの過酷な競争と深夜の大移動そしてゲーム・コントロールの維持など等を克明に紹介。

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完璧な距離と角度で一塁「Safe!」をコールし、走者の動向を確認している。写真:UDC広報部より


ここで筆者の独り言を少し言わせて頂こうと思う・・・。
  オールド・ルーキーが主宰するUDC(Umpire Development Corporation)は(1)正しい審判方の伝授、(2)審判の技術向上とスキル・アップ、
(3)最新審判メカニクスの研修、(4)審判員の養成、そして(5)審判学校の設立を目的としていると筆者は勝手に思っている。
特にその中で、正しい審判方は審判をする上での基本となるものであるが、従来は先輩審判からの口頭説明や実践感覚的なもので継承されている。
がしかし、従来の指導は正しい審判方といえるものでは決してなく、指導審判の経験や技量、考え方の違いでメカニクスも変わってしまう恐れがある。
UDCでは「何故、その位置なのか?」、「何故、そこへ位置しなければならないのか?」等といった疑問を解き明かしてくれる。
正しい審判方を身につけるために、是非一度UDC主催のアンパイアー・クリニックを受講してみよう。「眼からウロコ」であること間違いなし。


 メジャー目前の3Aとも成れば、それらの環境を克服する体力、知力、意欲、自信そして闘争心がより一層求められる。
 そしてまた、クルーとの信頼、友情が芽生えそして葛藤が生まれるのも事実であろう。

 オールド・ルーキーの願いは僚友バリーと共に「Fall League」へ招聘されることだった。
が、それは自らのケガで成らず・・・。一方のバリーは圧倒的なアンパイアーリング技術とスキルでそれを手中にした。

 その反響は非常に大きく、筆者の審判仲間はもとより野球を愛する方々や他方面からも多くの声援が寄せられた。
 「厳しいものだネ」、「あきらめず、頑張ってほしい」、「夢、勝ち取ってほしいナ」、「子供たちも見て、応援しているヨ」
 
 野球にはその節々に必ず「野球の神様」がいる。今回は「ケガを早く直しなさい」という神様のお告げがあったということであろう。
 運はまだまだオールド・ルーキーに付いている。「災い転じて福となす」・・・・。

 日本人メジャーの開拓者、野茂英雄元投手の座右の銘は「夢をあきらめるな」だ。
僚友だったバリーも言っていたネ「Take(オールド・ルーキーの愛称)、あきらめるな!」と・・・。


011 メジャー暦28年の元クルー・チーフ、Jim Evans氏は恩師であろう(写真左)
現在は「Jim Evans Academy of Professional Umpiring」の校長である。
二度の完全試合に立ち会った七審判の内の一人で、1984年9月30日の Mike Wittそして1999年のDavid Coneの完全試合に塁審として立ち会った。
また、1973年のNolan Ryanのノーヒット・ノーランや1986年のDon Sattonの300勝目の試合には球審としてそれらの達成を見守った。
1984年5月8日のブリューワーズ対ホワイト・ソックス戦では試合が翌9日に亙り、 球審としての試合時間8時間6分のメジャー最長記録を作った審判でもある。
そして、ポストシーズンもとより、ワールド・シリーズにも四度出場。
審判デビューは14歳のときで、自らは捕手も兼任していたようだ。
写真:UDC広報部より



 今、オールド・ルーキーは「こんな結果になってしまいメジャーの可能性が少なくなった」と感じているようである。

 様々な思いが頭の中を駆け巡っていよう・・・。本人の苦悩は計り知れないと思う。

 他人事で恐縮だが、モチベーションを立て直し、前に進んでほしいと願っているのは筆者一人ではあるまい。 
 
 審判とは何か?審判の真髄に挑戦しようと思った十年前を思い出し、初心に還ってみてはどうだろう??

 オールド・ルーキーの今後の奮起に期待する。



この写真はシカゴのWrigley Fieldでの試合前のひと駒である。
こんな光景がいたるところで見られるアメリカン・ベースボール。
アストロズの選手である父親と「The Catch(キャッチボール)」をする息子。
こうして将来のメジャー・リーガーを夢み努力、邁進するようになる。
幼年期に育んだ何にも変え難い初心であるし、大志であろう。
「初心忘るべからず」と云う諺があるが、筆者には非常に耳の痛い言葉である。
オールド・ルーキーにはこの言葉をもう一度思い出し、奮起してもらいたい。
アメリカン・ベースボールには老人や子供たちを大切にし、元選手に対し
ては大いなる敬意を払う真髄も持ち合わせている。写真:筆者友人より
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 アマチュアー野球の一審判員として、オールド・ルーキーからいろいろなことを学んだ。
 誠、感謝にたえない。そしてオールド・ルーキーの夢が叶うことを祈念している。

Thanks Take from MBUA #47Umpire.


※掲載した写真の大半は「オールド・ルーキー・チャレンジ日記」からの転載です。
 作者からは使用許可を戴いております。
 この文面と写真の無断使用を禁じます。


(2010年10月15日)


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