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成田山参りで「世紀のミスジャッジ」を確認


白 球 健 児  

 毎年2月には成田山・新勝寺へお参りに行くことが我が家の恒例行事です。

成田山


 今回は成田山へ行くついでに、以前から機会があれば調べてみたいと思っていたことがあります。昨日(2月3日)関係機関へ問い合わせなどを行って動いてみることにしました。

 今回の求める資料は、終戦直後の昭和21年、千葉県の夏の中等学校野球大会には14校が参加し、成田中学(現・成田高校)が全国大会へ出場しました。

 甲子園の開幕試合で成田中学は京都二中(当時)と対戦しましたが、この試合は「世紀のミスジャッジ」で敗れたといわれています。

 0−0の投手戦で迎えた6回裏、1死二塁から石原利夫がセンター前に打ち返し、二塁ランナーはホームへヘッドスライディングをしたがアウトの宣告、結局9回表に1点を取られて0−1で敗れてしまいました。

 しかし、後日行われた中等学校野球の写真展で、ランナーがすでにホームインしているにもかかわらず、ボールはまだ捕手に到達していない決定的な写真が発見されました。

 成田中学を降した京都二中は、その勢いで準優勝をしているだけに、優勝を左右する事件でありました。この写真は、当時成田中学を引率していた木内信三部長が譲り受け、成田市立図書館に保管されています。(記事は高校野球関連資料より抜粋したものです)

 成田図書館への電話での問い合わせでは、その資料は現在、成田市立図書館には存在しないが、成田高校へ行けば学校内に掲示してあるという話を聞いたことがあるとのことでした。

 少々曖昧な点はあったものの、何度も電話を中断したりしながら、この間、図書館の方でも資料の行方を探す努力をされていたようです。

 今から65年以上も前の出来事でもあり、突然の問い合わせにさぞ戸惑われたことと思います。

 粘り強く資料の行方について問合せた結果、最後の頼りは成田高校ということになり、とにかく当たって砕けろの精神で、同校を訪ねることにしました。

 そのような訳で、新勝寺から成田高校までの地図はあらかじめ調べていたので、学校の方角を目指して歩き出しました。

 成田高校の位置は新勝寺から距離にして約300メートルぐらいで、時間にして5〜6分程度ではなかったでしょうか、無事校門前へ到着しました。

 校門を入ってから通りがかりの女子高生に声をかけたところ、職員室まで案内をして職員室内の先生に引き合わせをしてくれました。

成田高校


 名刺をお渡ししたあと、先生に事情をお話しすると、「そのことが分かる先生をお連れしますから」と言われて、教室の方へ探しに行かれました。

 5分間ほど待ったでしょうか、いかにも野球関係者とわかる精悍な顔をされた先生が現れました。

 「私は野球部長のOOです」と挨拶をされましたので、改めて突然訪問したことを事情説明すると、1冊の本の中から私が探し求めていた、問題のシーンの写真を取り出していただきました。(この本は、成田高校が独自で作成した本のようでした)

 写真を撮らせていただいてよいかどうかを確認し、了解を得た上で、デジカメ写真を2枚撮らせていただきました。

 突然の来訪の非を詫び、丁重にお礼を言って学校をあとにしましたが、この間の滞在時間は15分程度ではなかったかと思われます。

 我が家に帰って、デジカメに収めた「世紀のミスジャッジ」といわれる画像を取り出してみましたが、1枚の写真からは、確かに文面通りのようにも見てとれるが、本塁へ滑り込んだ二塁走者の手が、ベース上に座り込んだような体勢の捕手のブロックによって、本塁ベースに届いていないようにも見てとれる微妙な写真でした。

 写真上では捕手はこの時点で野手からの送球を待っている状態であり、審判員はどうような理由で「アウト」のジャッジを下したかは不明ですが、この写真から見る限りでは走塁妨害の適用というケースも十分に考えられる写真でした。
 
 今回の成田行きは、苦心しながらも貴重な資料を入手することができて大感激であり、私の財産がまた一つ増えることになりました。

 今日は成田山・新勝寺への小さな旅であったが、収穫もあり意義ある一日となりました。


(2011年2月15日)


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