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被災地への日帰りボランティアに参加して
(下)


白 球 男 児  


 被災された民家などでは写真は撮らないようにと、ボランティアセンターの責任者に注意を受けていたが、昼食を岸壁の漁船の傍で食べたあと、海岸周辺を歩いて見ることにした。

 漁船は港に数十隻浮かんでいたが、この地区の漁港で沖に流された船や壊れた船はなかったのであろうか、気にはなっていたが残念ながら聞き漏らしてしまった。

 大きな倉庫らしき建物が倒壊したまま道路上に放置されていたが、この地区の幹線道度でもあり、何故撤去などの処置が取られていないのか疑問の光景も見られた。

 アパート群は木造と堅固な建物合せて、大小10棟ほど立ち並んでいたが、どのアパートも全室空き家となり住んでいる人たちを目にすることは無かった。

 津波が押し寄せた当日、必死になって逃げ惑いながら避難した光景が目に浮かぶ。

 岸壁から距離にして50メートルほどの海を前にしたアパートや民家は、軒並み一階部分に海水が押し寄せて、すべての家具類が海へ押し流されたとのことで、大震災から2カ月以上経った永崎地区の現状は、復興に向けての救助の手が完全には行き屈いていない様子が伺えた。


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 午後の作業は1時に再開され、20人という大勢の人数で作業をした所為か、作業の進行が早く、予定されていた時間より1時間以上も早い午後2時過ぎに、すべての作業が完了した。

 家の前には100袋以上の土嚢袋と多くの廃材などが積み上げられ、家屋の内外も作業前に比べて見違えるように奇麗になり、あとは大工さんが改修作業をしてくれれば、住む家は確保され店も再開できるのではないだろうか。

 朝方の作業開始から作業終了まで、家の持ち主の50歳代後半と思われるご夫婦が、付きっきりで作業の状況を見ておられたが、すべての作業が終わって立ち去る際には、涙を浮かべて「ありがとう、ありがとう」と、感謝の言葉を何度も述べられていたことが、印象深く残っている。

 ご夫婦揃って、感謝の気持ちを込めて見送られる姿を見ながらこの家を離れたが、近い将来には家も修復され、小さなタバコ屋さんの店も開き、元気な姿で立ち直られることを祈りながらのお別れとなった。

 いつの日か復興なった暁には、この地を再訪したいと胸に刻んでいる。


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 泥出し作業班の仕事が予定より早く終わったことで、市の迎えのバスに乗り、調査班の作業場所である県立いわき海星高校前まで行き、この地でしばらく待機したが、この地区周辺も河口が近いということもあり、海星高校を含めて1階部分の家財道具などが、津波に押し流されて、無残な姿を晒している民家が多かったことが印象に残っている。

 このあと、調査班ともども小名浜のボランティアセンターへ引き揚げた。

 草刈り班は農家での作業だったとのことで、予定されていた午後4時ごろにボランティアセンターに引き上げてきたので、あとは我が家を目指して朝来た道を引き返すのみとなった。

 午後4時20分、ボランティアセンターに別れを告げて、バスはゆっくりと動き出した。

 市のバスは高速道路でトイレ休憩などをしながら順調に走り続けた・・・?はずであったが・・・、福島と茨城の県境を越えて水戸に入り、間もなく友部SAで、友部を過ぎると我が家までは40分ほどで到着だなどと思っていたところへ、突然「ガタ〜〜ン、バリバリ、ガ・ガ・ガ・ギ・ギ・ギ・ガタ〜〜〜ン、ズ・ズ・ズ〜〜〜」瞬間的に「事故だ〜〜〜」と思いつつも、正直何がどうなったのか分からなかったが、バスの運転手が「パンクダッぺ!」の一言・・・。全員「ア〜〜〜〜〜ァ」。

 運転手が待避車線に車を止め点検していたが、間違いなくパンクだとのことで、友部SAまで徐行運転しながら走行となったが、ハラハラドキドキの状態で無事?に友部SAに到着。

 市と車両関係の契約を結んでいる守谷市の業者に電話連絡し、修理に来てくれることになったのだが、待てども、待てども日が暮れても修理業者姿は現れなかった。

 待ち時間が1時間40分経過し、日もとっぷりと暮れて、待たされ続けた40人にはイライラ感が募り出したころ、修理業者の車が何事もなかったような様子で到着した。

 タイヤ交換時間は約20分・・・パンクのために2時間ほど足止めを食ったことになるが、実はこの間に、私的なことではあるが、退屈しのぎにSA内をブラブラしながら土産物を3カ所で購入したが、財布を何気なく見ると「アレッ、免許証が・・・ない」何度も財布の中をひっくり返して見たが、「ない」・・・紛失である。

 慌てて店内のアチコチを探し回るが・・・見当たらない・・・。「ダメだ、こりゃァ」

 紛失した自分を責めながらダメ元の気持ちで、店内で商品を陳列していた男性に声をかけると、案内係のところへ連れて行ってくれて、免許証紛失のことを伝えてくれた。

 誰かが拾って届けてくれたとのことで、何と案内係の手元にワタシの免許証があったではないか、・・・助かった、本当に助かった。

 この紛失から免れた幸運に、まだ世界は"自分中心に動いているな"と、変な認識をした次第である。

 冷や汗タラタラの免許証紛失劇であったが、昨年も取手市内で同じように、免許証1枚だけが財布から抜け落ちて紛失という失態劇があり、これで同じ失敗を2度も繰り返したことになる。

 次からは絶対に気を付けようと、自身に言い聞かせながら、安堵した紛失劇であった。

 バスは出発場所の市の福祉保健センターに、予定の帰着時間から2時間遅れの午後8時50分に到着。

 到着後、即刻解散、疲れ切った体で一目散に我が家を目指す。

 いわき市への往復5時間(修理時間を入れると7時間)のバスの旅、ボランティア作業、パンク事故、免許証紛失劇・・・散々な珍道中を経験して、今回の「日帰りボランティア」を終えた。

 

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(2011年6月15日)


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