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メジャーリーグ観戦と
アンパイアースキル研鑽の旅−Play ball
(2)


#47 Ump.


 6月12日(火)、アメリカン航空 176便は定刻11時30分にほぼ満席で出発。

 一路ダラス・フォートワースへ約13時間のフライト。乗客の多くは我われ同胞のアジア人。
 中国、タイ、韓国、台湾人など等。「最近はベトナム人が多い」とクルーの一人が言っていた。
 アジア人の海外進出が多い昨今(この時期、日本人は意外と少ない)

 自国での生活設計ままならず、海外へ(圧倒的にアメリカへ)その拠点を移す人達が多いと聞き及ぶ。

 それに比べ、わが日本は震災や原発事故があったとはいえ、そしてさらに景気が良いとは決して云えないが、少なくともそれなりに生活環境や経済的安定が保たれている。

 この幸せを改めて感じさせられた。

 しかし、だ・・・。彼らの大半は英語を流暢に話す。それに引き換え我われの英会話はどうだろうか?
この点だけが心配だ。もっと積極的に「英語を話す機会」を創らなければ・・・、国際社会に立ち遅れよう・・・。


今回搭乗したアメリカン航空176便ボーイング777型機。乗客定員324人。ダラスまで13時間の空旅、宜しく頼むぜ777

 思い起こせば1999年、最初のメジャー観戦で搭乗したのもこのアメリカン航空だった。

 最終列の座席に座り、搭乗のクルーとおしゃべりししたのを思い出した。
 座席の前にはモニターがあり、ビデオ上映、ミュージック鑑賞それに飛行経路などが思い思いに見たり、聞いたりできる(当時と同じような印象)

 違うのは1999年当時ボーイング747型機(「ジャンボ」と呼ばれて親しまれた)でエコノミー席は横3−5−2座席配置だったが、今回はボーイング777型機で燃費効率と旅客稼働率に優れ2−5−2の座席配置で比較的ゆったりとして切迫感がないのが良かった。
(私達は、もちろんこのエコノミー席であることは云うまでもないこと・・・)

 途中、二回の食事とスナックが出てきたが、これが結構美味かった。ジュースやコーヒー、アルコール等が自由に飲め、当然のことながらお変わりもしちゃった。 


機内食

スナック

 そうこうしていると飛行機はダラス/フォートワース空港に6月12日10時40分(現地時間)に無事到着。通関を済ませ、早速インフォーメーションセンターへ寄りホテルのシャトルバスを呼んでもらう。

 シャトルバスは30分程で我われをピックアップし、ホテルへ直行。


ダラスでの二日間を過ごすホテル。ホテルというよりモーテルと言ったほうが良いかも?

 チェックイン後「ケネディ暗殺現場の「The Sixth Floor Museum」とダウンタウンへ行きたいんだが・・・」と尋ねると「先ず、チケットを買った方が良いですヨ。私の車で球場へ連れって行ってあげましょう!」と支配人が行ってくれた。有り難い! 早速、支配人の車で球場へ。

 今日、明日のナイトゲームのチケットを首尾よく手に入れた後、タクシーを捕まえダウンタウンへ向かう。

 高速道路を走ること凡そ30分程で目指す「ケネディ暗殺現場」と「犯人のオズワルトが立て篭もったとされる「教科書倉庫」に到着。


教科書倉庫の記念碑。第35代米国大統領ジョン・F・ケネディを暗殺したといわれるリー・ハーヴェイ・オズワルトが立てこもっていた建物は、元々は教科書会社の倉庫。現在は「The Sixth Floor Museum」となっておりネディ大統領を狙撃したといわれる6階の角部屋が当時のまま残されている。もちろん入室禁止(ガラス越しに当時を窺える)。


ケネディ元アメリカ大統領を狙撃したとされる犯人リー・ハーヴェイ・オズワルトが立て篭もったとされる教科書倉庫ビル。その部屋は六階の角部屋で、現在はガラスで仕切られており入室禁止になっている。


1963年11月22日(金)ケネディ大統領とジャクリーン夫人を乗せた車リンカーン・コンチネンタルはダウンタウウン方向から来て現裁判所(グレーの建物)と元裁判所(茶色の建物を(写真では左方向へ)右折しHouston Streetへ進入。


ここを右折しHouston Streetへ入る。 教科書倉庫が見えている。


 そして50メートル位先の信号を左折し、なだらかな下り坂の中央付近のデイリー・プラザに差し掛かった時、ケネディ大統領は撃たれた。


教科書倉庫前を左折し、なだらかな下り斜面に進入。


デイリー・プラザに差し掛かる。左前方にはユニオン・ステーションとリユニオン・タワーが見えてくる。


オズワルトが教科書倉庫の六階角部屋から発射したイタリア製ライフル「カルカノM1938」の凶弾はこの様な角度でケネディをヒットした。


ケネディ元大統領が凶弾に斃れた場所には「×」がポイントされている。


 1960年代はアメリカの栄光と繁栄の時代であり、古き佳きアメリカが最も輝いていた時代である。

 一方日本ではアメリカの衣食住や文化等を紹介した「平凡パンチ」、「Be Pal」等の新刊本が発行され、多くの若者が(筆者もその一人で青春真っ只中であった)アメリカに憧れたものである。
 またアメリカのファッション等を紹介したアイビーの「VAN」、ヨーロピアンの「JUN」の服飾ブランドが若者達の間で多いに受け容れられ一斉を風靡した時代でもあった。

 因みに、余談だがメリヤス地の丸首シャツを下着という感覚しかなかった我われ日本人に「Tシャツ」というファッションを教えてくれたのはVANの創業者の石津謙介氏であり、またGパンを「Jeans」として紹介してくれたが日本でのジーンズの草分けである大石貿易(Canton Jeans の生みの親)の大石哲夫氏である(共に故人)

 その象徴が「エデンの東」や「理由なき反抗」の銀幕で活躍したJames Deanで、真っ白なTシャツにLevisのジーンズのいでたちは現代もその輝きは失せてない。シンプルで清楚でかっこいい!!
 そう、永久不滅のファッションであろう・・・。


ジーンズにTシャツそれにSwintop(これも石津謙介氏の造語)を装ったジャームス・ディーン。


 そんな懐かしい思いを後にし、ダラスのダウンタウンへと向かう。


Houston Street沿いにあるUnion StationとReunion Tower。リユニオン・タワーは17時から23時までレストランとして営業。


Dallas Country Courthouse。1891年にダラス郡裁判所として建設された。1966年に新裁判所の開設に伴い、現在はダラスの歴史を探訪できる「Old Red Museum」として一般に公開されている。また、1976年に米国立歴史的建造物に指定された。その前の建物が現在のダラス郡裁判所である。ケネディを乗せた車はここを左折したんです。


 ダウンタウンには多くの人手とショップやレストランが多くあるのかと思いきや、これが殆んどないに等しい。 辛うじてメイン・ストリートにレストランがあるだけ・・・。それもイタリアンが圧倒的に多い。
 
 ダラスはテキサス州北部に位置する商工業都市で金融や経済の中心地と云われるが、日中は人出が少なく閑散としていた。夜の人出も押して知るべしといったところか・・・?


ダラスの目抜き通り。この通りの両側にはレストランが立ち並ぶ。その殆んどがイタリアン・レストランだ。


創業1925年のアドルフ・ホテル。重厚なたたずまいは歴史建造物に指定されている。


 テキサス・アーリントン地区にはMLBレンジャースと共にNFLダラス・カウボーイの本拠地「カウボーイ・スタジアム」が隣接。


収容人数80000人を数えるカウボーイズ・スタジアム。


直ぐ隣にあるYouth Ballpark(少年野球場)芝生のグラウンドでベース付近はカットアウトされ綺麗に管理されていた。


バックストップの後方にはRangers Ballparkが見える。


 13年ぶりのレンジャースボールパーク・イン・アーリントン。懐かし〜い!

 ここは過って「オールド・ルーキー(原題はThe Rookie)」と云う映画で主人公、テキサスの田舎高校教師ジム・モリスがメジャー・デビューした球場といえば解ってもらえると思う。


Rangers Ballpark in Arlingtonの素晴らしい遠景。コロニアル風建物。当時と変わらないなァ。メジャー球場の中で概観が最も美しいと云っても決して過言ではない。


 さァ〜、入場するぞ。センター後方の入口を入ると正面に大投手であり、球団社長の「ノーラン・ライアン像」が見えてくる。その向こうには・・・? 何だ??本塁方向が見渡せないぞ!!(見えない)


センター後方の入口を入るとノーラン・ライアン像が待ち受ける。1999年当時はここから本塁方向が見渡せたものだが、今は面影がない。ノーラン・ライアンは324勝292敗、防御率3.19、5714奪三振、7度のノーヒット・ノーラン達成の輝かしい記録を達成しているが、サイ・ヤング賞には縁がなかった。現役時代のニックネームは「The Express」1973年に記録したシーズン383奪三振は今でもメジャー記録。1999年にHall of Fame入り。



 初めてこの地を訪れた時にはセンター後方から緑の芝生を挟んで本塁方向が望めたんだがなァ。
その印象が強烈だっただけに、13年も経つと雰囲気が一変してしまうのは無理もないと思いつつ、ちょっと興ざめの感じ。

 もう一度、そこ素晴らしい光景を見てみたかった。それも興味の一つだったのに残念・・・。
 当時と比べてセンター後方の芝生が小さくなり観客席が増設されたみたいだ。


センター後方から本塁方向が見渡せた1999年当時の写真


 1999年当時、この像の後ろから本塁方向が見渡せたものだが、現在はバドワイザーの売店が立っている)

 しかし、左手にあったチーム・ストアーは当時のままだ。
 早速、Yu DarvishのTシャツを探すが、売り切れ状態。あるのはサイズの大きいものばかり。
  球場内のどこのショップへ行っても無〜い。 ざ〜んネン!!


レンジャースのチームストアーの内部。残念ながらYu DarvishのTシャツは売り切れ。ファンの後ろ姿はブルーのダルビッシュTシャツだ。


 滞在した12、13の二日間はレンジャースとダイアモンド・バックスの二連戦。

 12日、テキサスの先発は以前広島カープにいたColby・Lewis投手。アリゾナはIan・Kennedy投手が先発。 試合はテキサスが初回に一点先取。5回にはDavid Murphyの2得点本塁打を含む5点を返し優位に進め9‐1で完勝。
 一方のアリゾナは8回にMiguel Monteroの本塁打で一点を返すもこれまで。テキサス先発のルイスに7奪三振、散発4安打に抑えられた。ルイス投手はこの勝利で今季の成績を5勝5敗のタイにした。


球場の窓口で購入した観戦チケット $66。


 明日の先発はローテーション通りならダルビッシュ投手の登板か?と思いきや体調不良にて登板回避とのニュースが流れる。聞けば15日の登板とのこと。ホームのアーリントンでダルビッシュを見るためにローテーションを調べ上げ日程をくんだのに・・・ザ〜ンネン至極!!


購入したチケットの座席からみた球場内。


本塁方向を見る。


 13日ももちろんナイトゲーム。この日はレンジャースがMatt Harrison(左投げ)、DバッグスはWade Miley(左投げ)の先発で始まった。


座席から見た球場右翼方向。


内野方向を見る。TEX走者二塁。球審ジェフ・ケロッグ。


 試合は七回まで共にゼロ行進の投手戦。8回レンジャースの攻撃で先頭打者、六番のMike Napoliが四球で出塁、七番Yorvit Torrealbaの送りバントでナポリが二進。八番Snyderのところで代打Nelson Cruzeは空振り三進に終わった。が、九番Craig Gentryがレフト前に適時ヒットを放ちナポリが生還。
 このなけなしの一点を九回に登板したクロザーのJoe Naithanが死守し二連勝とした。
 勝ち投手は七回に2/3を投げた二番手のMike Adams。ネイサンにセーブが付いた。


8回裏、クレイグ・ジェントリーの左翼前適時安打で二塁走者マイク・ナポリが一気に生還。この一点を死守したレンジャースが勝利。


 この試合の5回表に折からの雨で試合が一時中断(30分くらい??)内野にはタープが覆われた。
  幸いにも雨が止んでくれて九回最後まで楽しめた。雨の試合は今回が始めての経験だったなァ。


雨も止み内野に覆われたタープが巻き取られ試合開始間近。


 「イャ〜、ベースボールって素晴らしいですネ」

 この二試合の審判はCrew Q。比較的若手の審判クルーで、チーフのケロッグ氏が19年半、後の三人は13年前後のメジャー経験。

 12日の球審はTim Timmons#95、1BU : Jeff Kellogg#8(クルーチーフ)、 2BU: Eric Cooper#56そして3BUはMarty Foster#60.

 圧巻は3BUのマーティー・フォスター氏。

 走者なしで2BUがgoes outしたとき、二塁へローテし、打者走者が二塁を廻るや否や二・三塁を結ぶ外側に出てプレーを注視していたこと。なんでもない事のようだが、そんなに簡単なことではない。

 こんな一寸したスキルを我われアマチュアーも多いに見習いたいものである。

 また、このようなメカニクスを理解できる(解き明かす)スキルも是非身に付けたいものである。

 それと、このクルーの素晴らしかったのはローテーションにしてもリバース・ローテーション(我が国ではスライドと言っている)するにしても各審判員の動きが実にゆったりとしていて、余裕さえ感じられた。その一方、プレーがあるときのスピードと対応の早さ、角度の取り方はさすが〜ァとため息。

 今回、久しぶりにメジャーのアンパイアリングを生で観て感じたことは「基本に忠実」ということ。


一塁塁審がGoes Outしたとき、球審のジェフ:ケロッグが一塁ベース手前まで上がり、オブストラクションの確認をしていた。


 メジャーではクルー毎に独自のメカニクスを持っているが、その基本は自塁の責任分担を確実にこなすということ。
「自塁の責任を果たす」このことがクルーとしてのメカニクスを円滑にかつ容易にしていることの主因でもあるが、この意味合いを理解している方は非常に少ないと云っても過言ではない。

 13日の審判団は昨日と同じクルーでローテーションしていた。 球審Jeff Kellogg、一塁Eric Cooper、」二塁Marty Foster、三塁Tim Timmons。


球審ジェフ・ケロッグはニーズで構え投球判定。


 この日も一塁マーティー・フォスターの切れのあるメカニックに感じ入る。
メカニックの切れは大事であり、審判が信頼されることの重要な一部であることを肝に入れよう。
 
 また、審判員たるもの身だしなみには充分気をつけよう。規則書にも書かれていますネ。

 プリーツが利いたパンツ、プレスが程よいシャツ、ギグラインが整った着こなし、そして堂々とした態度と行動など等。清潔感、清潔感である。それらは審判員としての最低条件ですぞ!


雨が上がり再開された試合のグラウンドは所々に砂が入れられ白くなっている。
 アンパイアー四氏の位置を参考にしてください。選手の守備位置で立位置が変わっています。
 一塁と三塁審判の位置を良〜く観察してください。いつも同じ位置ではない!


 どこかにいませんか・・・??
 プリーツが無く、つんつるてんのパンツを穿き、よれよれで汚れが落ちていないシャツそして汗と埃にまみれ臭気が漂うような帽子を被って審判をされている方・・・。

 清潔感溢れる身だしなみは審判員として信頼される第一歩でもあるんですヨ。

 さァ〜、身だしなみには充分気をつけて審判活動に勤しもう・・・。

 こんな思いを感じながらダラスの二日間は過ぎて行った。

To be continue.(続く)


(2012/8/15)


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