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メジャーリーグ観戦と
アンパイアースキル研鑽の旅2012−After the games
(後編)


#47 Ump.


 米国六都市を廻り、メジャー12試合を観戦した今回の旅で、ベースボールはもとより、最高峰のアンパイアーの技術とスキルをつぶさに見てきた。

この時期はロースター・アンパイアーが休暇を取っていたせいかコールアップされたアンパイアーがクルージングしており、軽快な動きやメカニックの切れを存分に見せてくれた。

老練、中堅そして若手アンパイアーのチームワーク、モチベーション、スキルなど等を充分に観察すること(見ること)も出来た。

12試合で見たアンパイアーの通算人数は48名、G、H、L、M、NそしてQの六クルー。

筆者が見たアンパイアー全員を紹介したいところだが、ここでは引退したアンパイアー、今年2013年の新たなクルーチーフ昇格者そして待望のフルタイムを掴み取ったアンパイアー等を紹介してみる。

まず、昨年引退を決意したのはDarryl Cousins#13、Ed Rapuano#19それにTim Tschida#4の三名。


Darryl Cousins ♯13n

 

Ed Rapuano ♯19


Tim Tschida ♯4


ダリル・カズンズは1946年生まれの66歳。34年間で歴代7位になる4496試合に出場。球審1137試合、118回の退場処分そしてワールドシリーズにも13度出場し、マスクも三度被っているメジャー34年の大ベテラン。2007年8月4日、SF・ジャイアンツ対SD・パドレス戦でBarry BondsがHank Aaronに並ぶ755号本塁打を放った時にはプレートにいた。また、2008年9月21日、ヤンキー・スタジアム最後の試合には二塁塁審に就いていた。


2011年4月5日、タイガース対オリオール戦で球審を務めたD・カズンズ。カムデン・ヤーズ、ボルティモアー

 

球審Eric Cooperに抗議するブリューワーズ監督のNed YostをなだめるD・カズンズ。2008年5月5日 ブリューワーズ対マーリンズ戦 ドルフィン・スタジアム、マイアミ


Aエド・ラプアーノは1957年9月30日生まれで55歳。1991年にメジャー入り、以来23年間、2846試合に出動し721度マスクを被っている。ラプアーノは1994年4月8日、ATL・ブレーブズのKent Merckerのノーヒッターに球審として立ち会っている他は、2004年、G・マダックスの300勝、2010年、R・ハラデーのノーヒッターでは三塁として、また2012年5月2日、LA・エンジェルスJared Weaverのノーヒッターには二塁として立ち会っているものの、記録達成時の球審にはあまり縁がなかった。メジャー通算23年、2846試合に出場。ワールドシリーズ13試合、三度の球審を務めた。


レッヅ対ナショナルズ戦の球審E・ラプアーノ 2011年8月18日、ナショナルズ・パーク、ワシントンDC

 

タイガース監督Jim Leylandから二塁判定の猛抗議に、おどけた態度のE・ラプアーノ。 2011年6月7日 コメリカ・パーク、デトロイトでのブルージェイズ戦


Bティム・チーダは1960年5月4日ミネソタ生まれ。52歳。1986年、メジャーデビュー。通算28年、3358試合に出場。球審843試合、2012年8月26日、LA・ドジャース監督のDon Mattinglyを「Ball/Strike」で退場させたのを最後に85度の退場勧告をした。 
ワールドシリーズ16試合、内球審が一度。筆者がマイアミでサインを戴いたのが昨日のようだ。
右足を上げ、身体を右側に少し曲げたストライク・メカニックは個性豊かであった。
そのメカニックはもう見ることが出来ない。筆者がマイアミでサインを戴いたのが昨日のように思い出される。まだ52歳と若い、残念だ!


T・チーダのストライク・メカニック 2011年8月27 ブルージェイズ対レイズ戦。 ロジャース・センター、トロント

 

D・ワカマツ監督に退場処分を下したT・チーダ。右はTim Timmons
2010年6月6日 マリーナーズ対エンジェルス戦。セーフィコ・フィールド、シアトル


新たにクルーチーフへ昇格したのはJim Joyce#66、Ted Barrett#65それにFieldin Culbreth#25の三名。


Jim Joyce♯66

 

Ted Barrett♯65

 

Fieldin Culbreth♯25


ジム・ジョイス、1955年10月、オハイオ生まれの57歳。1987年にアメリカン・リーグで審判デビュー。以来メジャー生活24年で2854試合のキャリアを積んだ大ベテラン。Nolan Ryanの5000奪三振を達成した時に二塁塁審として立ち会う。また。Robin Yountが3000安打を達成した時には一塁塁審としてその記録を見ていた。そしてジョイスを一躍有名にしたのは2010年6月2日、デトロイトのコメリカ・パークでタイガースのArmando・Galarraga投手がインディアンズ相手に完全試合までアウト後一つに迫った九回表、打者Jason Donaldが放った一塁ゴロをガララーガが一塁をカバーし明らかにアウトだと思われた。が、一塁塁審のジョイスの判定は「セイフ!」万が一に起きたミス・コール。後日、誤審を認めガララーガに謝罪した美談は有名になった。
2012年にはESPN選出の2012年度最優秀審判員に選ばれた。


2010年6月18日、ヒューストン、ミニッツ・メイドパークでのアストロズ対レンジャーズ戦の二塁で、ハンズ・オン・ニーズセットするJ・ジョイス

 

ロッキーズ対ブリュワーヅのスプリング・トレーニングで本塁のプレーを判定する球審ジョイス。三塁延長線上に位置してプレーを見ています。Maryvale Baseball Park、フェニックス、アリゾナ


A テッド・バレットは1965年7月生まれの47歳。3A、Pacific Coast Leagueから1999年にメジャー昇格。キャリア16年。1999年7月18日、ヤンキー・スタジアムでのNY・ヤンキース対MPN・エクスポズ戦でNYのDavid Cone投手の、そして2012年7月13日、SFのMatt Cain投手がサンフランシスコのAT&TパークでHOU・アストロズを相手に 完全試合を達成したときの球審を務めた。球審として二度のパーフェクトゲームをさばいているのはメジャー史上T・バレットのみ。


2011年10月22日ワールドシリーズ第3戦、二塁でアウトを宣告したT・バレット。

 

T・バレット二塁塁審のアウトコールに抗議するアストロズ、ブラッド・ミル監督


B フィールディン・カルブレスは1963年3月生まれの49歳。大学野球の元投手兼外野手。肩を壊し審判の道へ。3A、Pacific Coast League及びInternational Leagueを経て1999年にメジャー昇格。キャリア16年で33度の退場処分を出している。2008年のワールドシリーズ第三戦ではマスクを被った。


F・カルブレスのセーフコールに怒るパイレーツのニール・ウォーカー二塁手 2011年6月11日ヒューストン、ミニッツ・メイドパーク。

 

ホワイトソックス対ドジャース戦でドジャースのRafael Furcalにスリーストライクをコールした球審カルブレス。2011年5月22日 USセルラー・フィールドにて。


そして、夢にまで見たメジャー、待望のメジャーグラウンドへ立つのは@Vic Carapazza♯85、AManny Gonzalez♯79そしてBAlan Porter♯64の三名。


Vic Carapazza♯85

 

Manny Gonzalez♯79

 

Alan Porter♯64


@ヴィック・カラパッザは1979年7月6日ニューヨーク州ポートジェファーソンで生まれる。33歳。
2009年3Aに上がり、International league、Pacific Coast Leagueで4年活躍。2010年にメジャーにコールアップされて以来302試合で念願のメジャーに昇格。


ナショナルズ対ブレーブズ戦でマスクを被ったV・カラパッツア。2011年8月3日
ナショナル・スタジアム、ワシントンDC。

Aマニー・ゴンザレスは1979年12月4日生まれの33歳でベネズエラ人初のメジャー・アンパイアーとなる。1979年12月4日生まれの33歳。2008年International Leagueに昇格し5年のキャリアとメジャー175試合を経て最高峰に上った。「天にも昇に上るような気分と興奮」という感想を漏らしたとか・・・??


2012年6月30日 ダイヤモンドバックス戦で球審を務めたM・ゴンザレス。ドジャーズタジアム。

Bアラン・ポーター、1977年12月8日生まれの35歳。ペンシルヴェニア州チェスナット出身。
2008年に3Aに上がりInternational Leagueで5年を過ごした。2010年6月4日セント・ピーターズバーグでのTB・レイズ対NY・ヤンキース戦でメジャーのコールアップデビュー。その年の8月5日のHOU・アストロズ対PIT・パイレーツ戦では球審を務めていたが、打者Carlos Leeのスイングしたバットが頭に当たり大怪我をした経歴がある。メジャー299試合でフルタイムに上り詰めた。夢のまで見たメジャーでの活躍が期待される。


「ストライク・スリー」をコールしたA・ポーター。「「えッ? ストライク・スリー?三振?」とイバン・ロドリゲス。2012年5月13日、ナショナル・パーク(ワシントンDC)でのフィリーズ戦。

これらは、彼ら三人より先にコールアップされていた♯83Mike Estabrook(595試合)、♯84Angel Campos(549試合)、♯76Mike Muchlinski(467試合)、♯70D・J・Reyburn(387試合)の四名を追い越しての決定である。


「今日のストライク・ゾーンは広くないかい?」とカージナルスのMike Matheny。「そんなこたァないよ!いつも通りだヨ、マシニー」と M・エスタブルックが応える。
 2012年9月19日ブッシュ・スタジアム、セントルイス。


「いまのボールじゃないのォ?」とアンヘル・カンポスのストライク・コールに納得いかないイチロー。2010年6月20日、セーフィコ・フィールド、シアトル。


「Strike three!」マイク・ムリンスキーから三振を告げられ怒り出すトラビス・ハフナー。2012年7月5日、プログレッシブ・フィールド、クリーブランド。


「今のがなんでストライクなんだ!!」とD.J. レイバーンの判定に抗議するW・ソックス、ロビン・ヴェンチュラ監督。2012年7月8日、USセルラー・フィールド、シカゴ

 このように、メジャーではプレーヤーもアンパイアーも次代を見越した若手の起用や台頭が著しい。
プレーヤーが若くなればアンパイアーも若くなるのは自明の理であろう・・・。
 
 メジャー・リーグではBaseball Operations(試合統括部)を置いて、試合運営やアンパイアーを指揮管理している。そのボスが元ニューヨーク・ヤンキース監督のJoe Torreである。

その下にメジャーの全試合とアンパーアーを統括するRandy Marsh部長、審判部の管理者Rich Rieker、そしてスーパーバイザーのTom Lepperd、Chuck Meriwether、Ed Montague、Steve Palermo、
Charlie Reliford、Larry YoungそしてBruce Froemming等、そうそうたる元アンパイアーが現役アンパイアーを指揮、管理している。

 メジャー・リーグのアンパイアーは全員で68名。たった、68名ですヨ・・・。
いかに狭き門か、お解りいただけますか?選手よりも「狭き門」かが解ります。


2012年度最優秀アンパイアーに選出されたジム・ジョイス。

この68名をAからQまでの17クルーに分け、それぞれにチーフを任命し、一組4人で編成されている。これがアンパイアー・クルーと呼ばれる。メンバーは毎年変更されるが、ポジションをローテションしながら一任された試合を裁いていくのは変わらない。精神的にも、肉体的身体的にも重労働である。

 彼らには定期的に一定の休暇が与えられており、その間の(試合)空席には3Aのアンパイアーが急遽クルージングしてくる。これがいわゆるバケーション・アンパイアーとかコールアップ・アンパイアーと呼ばれるものである。年間140試合くらいメジャーのグラウンドに立っているアンパイアーもいるようだ。


1911年開場、全米最古のボストン、フェンウエイ・パーク。グリーン・モンスターが有名。開場時は観客数35000人。市街地にあるため観客席の増設が困難も、現在37000人に拡張。

 

 1914年開場。フェンウエイ・パークに次いで二番目に古いシカゴ、リグレー・フィールド。「野球は太陽の下でやるものだ」と1987年までナイター設備がなかった。外野の塀に茂る蔦が有名。


 規則書には、野球は「一人」ないしは「複数の審判の下に行われる」と記されている。

1876年、William McLeanが初めてプロ・アンパイアーになったといわれている。
また、1878年にはNational Leagueが一試合の審判料を$5と規定した。
そして、1909年のワールドシリーズで初めて四人審判制が採られた。など等審判の歴史も興味深い。

 審判員の最大の任務は「規則にのっとり、試合を滞りなく終了させる」事であると確信している。
 
審判はいつもモチベーションを高くして試合に臨んでいます。

プレーを読み、プレーに対応し、距離より角度を重視して判定しています。

そして、いつも本当に真剣です。真剣です。真剣です・・・。

 今年も間もなくシーズン開幕。さまざまなドラマが今年も、また生まれる・・・・。

Thanks regards!


(2013/3/15)


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