甲斐 雄之助
前立腺癌の告知を受けたことを機会に、審判組織をはなれて治療に専念する決断をしたのは70歳になったときであります。このときは再びグランドに立つことはないと観念したものです。
治療の半ばを過ぎ、主治医から、しっかり経過観察を受け、審判活動をしてよいと許し得、目的を持って生きることができる幸せを心に銘じ、この協会に身を投じて8年が過ぎました。
思い起こせば自由の身で過去の経験を糧に審判三昧に生きたこの8年でした。 三昧とは仏教用語で、精神を集中すること、心の赴くままに行動することの意味あいであると説明されており、私はこの三昧の境地の核心がグランドにおける行動とプレイヤーに対する心のあり方にあると心得てきました。
心のあり方とは人や物事に対するとき及び行動を起こすときの心構えであり、心は決断や行動を支配するものであるから、三昧の核心に置いたものであります。 審判三昧において心のあり方を形成するための要素となった三つの事柄について以下にのべます。
私の20代は剣道に熱中した時代でした。終戦後GHQに禁止された剣道が復活したばかりで、伝統の精神性が重要視され、心・技・体の本義を理解して稽古を行い試合に臨むことが大切な心構えとしてありました。
心は行動をコントロールする基盤であり、この心の実態を知るために禅や般若心経について、鈴木大拙や紀野一義著の本を読みあさったものでした。
この著書において『人間が本性として持つ自我・執着心・煩悩と呼ばれるものを除いた心が空であり、心が空であるから人間は自在に考え、自在に行動へ移ることができる』と説く、この心にいたる修行の実践談を読み、座禅の真似事などを行い、心の修行の世界を覗いた経験を今思うと、あの頃執心した観念の世界が蘇り、三昧の心として今も生きております。
36年前アメリカの審判学校へ行ったおりに買って帰った冊子で『Manual for Umpir』について述べます。この冊子は審判員としての心構えについての手引き書であります。規則9.00(審判員)の9.01から9.05及び審判員に対する一般指示(原注)に規定する審判員の仕事について、事に当たり現実的あるべき心構えを説いています。心のあり方が行動を支配するからであり、三昧における心の要素のひとつであります。 私の審判三昧の世界で大切に思う心に『一期一会』の心があります。
このことについて、紀野一義著の禅において『客を招いて一席の茶会を催すときにも、この人とこのひと時を持つことは、これが生涯ただ一度の機会であると思えば、心入れもまったく違ってくるであろう。何遍でも会えると思えば粗略になるが、これが最後と思えば、仇や疎かにはできなくなる道理である。これを一期一会という。』と述べております。
グランドでプレイヤーと向き合うとき、心に銘きすべき言葉であり、三昧における心のあり方の核心であります。思えば78歳の今日まで審判活動を行ってこられたのは、これに没入し、そこに生き甲斐があったことだと思います。
目的や行動にたいして信念を持ち、これを維持することが自分の生命力を保つ要素であり、いつまでこれを保てるかわからないことですが、健康であるかぎり生き甲斐として審判三昧に浸りたい、そんな今であります。 |