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今回はアメリカの審判学校での体験を述べます。 先ず野球の審判を志す者の育成について、日本とアメリカの実態について触れます。日本では審判員の育成を各連盟及び協会が所属の審判員に対して行い、それぞれが基本及びメカニックの確立を統一しております。 その例として全日本軟式野球連盟の競技者必携があります。判定の基本姿勢と三人制及び四人制のフォーメーションメカニック、そして規則の適用とプレーの処置について実例が掲載されております。 アメリカではオフシーズンの1月から2月中旬にかけて野球審判員を志す者のために数か所で審判学校が開かれます。これには外国からも入校者が集います。 インストラクターは現役の大リーグ・スリーAの審判員等が担当して生徒を指導します。野球規則、判定の基本、プレーへの規則適用、さらに技術及び二人制審判のフォーメーションメカニックの教育を受けます。 卒業時に選抜された者にはマイナーのルーキーリーグでデビューする機会が与えられます。将来の大リーグ審判員への道が一歩ですが開かれます。この学校で教えるアンパイアリングメカニックは世界のスタンダードになっているものと言えます。 残念なことですが我が国にはこの種の審判学校はありません。 アメリカの審判学校行きについて、私共のリーダー及び賛同者から旅行会社へ企画を持ち込み、会社の企画宣伝も得て全国から審判学校での体験を希望する者を募りました。 実施の運びとなったのは1979年1月のことでした。この企画はアメリカの「審判学校体験ツアー」として毎年学校の開校期間(1月〜2月)に合わせて実施されました。 運営実態に工夫を施しながらも維持継続されたことは、日本の閉鎖性の強い審判界から、野球発祥の地アメリカへ飛び込んで審判技術習得のためのプロセスを探りたい、或いはもっと踏み込んでアメリカで審判をやりたい、そんな志しをもった多くの人材がいたことであります。 その中で単身フルコースの選択をする者も現れ、更にはマイナーリーグの審判員を目指す若者も続出しました。 私共が選らんだ審判学校はフロリダ州セントピータースバークに所在するビルキナモンアンパイアスクールでした。 フロリダ州タンパ空港へ到着したとき一人の精悍な青年が私共を出迎えてくれました。彼はアメリカで審判をする希望を抱き渡米して、これに挑戦しました今は亡き岡本浪男さんでした。 また、合間にフルコースの生徒に対する指導についても話してもらえたことは、この審判学校の教育実態を知るうえで大きな収穫となりました。彼については後の項でまたのべます。 私共が渡米した1979年は、プロ野球の西鉄ライオンズから西武ライオンズへと経営主体が変わり、フロリダでキャンプを実施しておりました。 審判学校での授業及び体験したことはつぎのように記憶しております。 2、授業では重要な事例を用いて規則適用における判断の基本理念とプレーの処置(判断動作で示す)の演習に明確な行動理念を見いだせたことは大きな収穫でした。 3、球審の実技では私共はアウトサイドプロテクター使用でありました。ブリンクマン・インストラクターの指導を受けましたが、当時アメリカではインサイドプロテクターの使用が主流となっておりました。 フルコースの生徒に対する指導もこれで、マクシャリーが実演して見せてくれた判定動作のスロットスタンスが目に焼き付き、今後はインサイドプロテクターでやると決め、生徒達の訓練に注目しました。 4、塁審の実技では、学校が基本とする二人制のフォーメーションメカニックのメニューはなく、塁審が行う基本的メカニックについて実技指導を受けたが、内容は二人制のメカニックのパートが主であったと記憶しています。 アメリカのフォーメーションメカニックは二人制のメカニックを基本として三人制そして四人制へと展開してゆき、三人制及び四人制の役割に伴うメカニックが加わりますが、担当ポジションでのワーキングにおける判定行動の基本として適応できるものと理解しました。 私共の入校が二人制を限定目的としたものではなく、審判技術習得のためのプロセスを会得することを思えばこれで良かったと思います。 塁審の基本的な判定行動の事例においては、ステップワークから判定エリアに移動し、判定を行うメカニックの習得においてステップワークの重要性を認識して、判定エリアでプレーの流れを読み、プレーを見通すアングルの確保、そして判定、この一連のメカニックにたいする新たな認識は今後のマスターすべき大きな課題として捉えました。 最後に審判学校での体験は学校のカリキュラムのほんの一部にすぎないのですが、このカリキュラムと指導プロセスを現役の大リーグ及びスリーAの審判員等で構成されたスタッフが指導する審判学校はまさにプロフェッショナルの世界でありました。 ここで指導する技術は世界のスタンダードであることを実感することができた旅でした。帰りに購入した「マニュアルフォーアンパイアー」を読んだ感想は、プロとしての審判員の心得、また仕事としての責任の厳しさを繰り返し教えておりました。 (2011年1月1日)
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