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この年代の審判依頼と審判活動について述べます。20世紀終盤から続く世界的経済及び社会情勢の変化のなかで、アマチュア野球ゲームの催しについて新しい形態を形成したネット関連の審判活動がメインとなり、そのほとんど総てが一人制審判で、複数制審判は極めて例外的でありました。 企業、団体及び健康保健組合等が催す大会は取り止めが多く、衰退し、これに拠る多くの複数制審判の機会が失われました。この様なゲームの催しに於ける従来からの変化により、依頼を受ける審判組織にもその活動体に変化が起きました。 企業や団体等の大会及びリーグ戦を担当するのを主たる活動とした時代には複数制審判が多く、ゲーム消化に多数の審判員を必要とすることから、これに対応できる人数を有する組織か求められました。 しかし、既に述べたように各種連盟等の催す大会を除くアマチュア野球ゲーム催しの変化はネット情報社会の発展と共に、ゲームの催し及びこれに伴う審判の依頼がネットを媒介手段としたものに移った結果、ネット関連のゲームの催しはそのほとんど総てが一人制審判であります。 従来の審判組織と共にネット上にホームページを開設して自己の活動内容を開示し、活発に審判活動を行う状況になりました。 同時に審判活動に対する組織の姿勢と審判員が行うアンパイアリングの質か問われる時代ともなりました。 次に審判技術の習得について述べます。球審の仕事と塁審の仕事を併せ行う一人制審判の困難性とこれを克服する為のメカニックの構築については前回具体的にのべました。その為には多くの努力と経験が必要であります。 決して安易な気持ちでできるものではありません。この様な時代背景のなかで行った審判技術の習得と錬成の拠り所は、従来から実践してきたアメリカの審判学校で教える基本と二人制審判のメカニックであります。 依頼において一人制審判が主流であっても、球審と塁審の二役を演じるには、二人制審判に於ける塁審のメカニックパーツは必要不可欠であります。 先に述べた一人制審判のメカニックはこの基本理念に基づき構築したものであります。この基本理念が審判活動の基幹となっていることについては既に繰り返し述べました。 アメリカの審判学校フルコースへは毎年、各地から若者が入校し、更にマイナーリーグの審判員へ挑戦して採用され、アメリカでの審判を経験する人達もでました。 これらの人達の中から帰国後、既に本記で紹介した平林 岳氏が主催するアンパイアリングサポートシステムUDCの活動に参加し、指導者として活動している人達がおります。 このUDCが行う実践的多様な講習メニューと地域で催す講習会への講師の派遣などの活動がこの年代において、私共が目指す審判技術錬成の為に情報とメカニックを提供する唯一の拠り所でありました。 更にアメリカの審判学校を目指す若者にとって、UDCは情報提供の場となりました。私共が求めた審判技術確立のシステム作りを願う長い歩みを顧見ると、その思いがUDCの活動へ繋がり、この思いの達成へのステップとなり、更に発展することを願い、今後を見守って行きたいと思います。 これで35年に及ぶ派遣審判活動の足跡についての記述を終わることになります。思い起こせば、アマチュア野球の核である連盟組織で育ちながら、派遣の道へ入り、さまざまな体験をできるその魅力に取り憑かれ、その内容をこれまでのべてきました。 これからの派遣審判界はどのように展開してゆくか、各々の審判員はどんなビジョンを持ってこれに臨むか、プレイヤーとの信頼関係はどのように構築するかなどについて、次の最終回で考えてみたいと思っております。 (2011年7月1日) |