先日、いつもお世話になっています。某「審判協会」の新年会に招かれました。ここでとても懐かしい人にお会いいたしました。
その人は、私が以前、明治神宮外苑審判協会でお世話になっていたころにお会いした方です。お仕事の都合でこの方は審判協会を辞められました。私は2、3回しか直接にお会いしておりません。私の印象ではとても厳格で、近寄りがたい審判員でした。
お話の中でそのことを申しあげましたら、全く覚えていないそうです。なにしろ新人でおとなしい「私」でした。
いろいろとお話をしていく中で、その方は、若いころから野球が大好きで、2日連続で「4連投」したお話や、肩を壊し、それでも肩を鍛え直し、また野球に挑戦したお話などを伺いました。
この方と同年代の審判員(70歳台)の方もお話に加わり、野球の話になりましたが、びっくりいたしました事は、このころの方は、野球選手でも「半端」ではなく、高校、大学、社会人、アマチュアで野球をやり、それも一緒に汗を流した「仲」なのだそうです。ですから野球の審判は「野球の延長線上」と位置づけているようでした。
「プレーはできないが、大好きな野球から抜けられない。そのために審判を一生懸命やっている」。とても重みのある言葉です。
「プレーはできないが」という意味には、審判なら「負けないぞ」という自負を感じられました。
こういう大先輩が「アマチュア野球・審判」をも、支えてきたのではないでしょうか。
先日、「審判員の背中」(3)に対して、野球質問掲示板に「審判協会OB」という方の投稿がありました。それに対して、何通かのメールをいただきました。
「臼井さん。相手にしない方がいいよ」
「ネットのマナーが守れない人間は、審判員としても失格」
「世間は広いようで狭いですね。ネットかぶれの若僧ですよ」
大先輩・審判員の方々のお話を聞いて、感じたことは「とても謙虚」でした。そして生き生きした「老人の顔」でした。
私などは、まだまだ「ひよっこ」です。
また、ひとつ「目標」ができました。
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