【4】「審判修行」への道
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 ダイナミックリーグと早朝野球を前後いたしまして、息子が少年野球チーム・ブラックメッツに入りました。なんと監督が早朝野球のチームメートなのです。自然にお手伝いをするようになってしまいました。


審判を終えて愛車の前で、少年野球審判服姿が初々しい


 まさか息子の野球応援に小学校2年〜高校3年の夏まで「付き合う」とは、この頃は夢に思いませんでした。

 と、同時に少年野球審判も始めるようになりました。平日、早朝と野球をやり、日曜、祭日は少年野球のコーチ・審判。いくら計算しても月に8日以上休みがないとやっていけません。かなり職場に迷惑をかけたのではないかと思います。

 この頃の思い出として、狛江市少年野球連盟で審判講習会を行いました。その時の講師の方が明治神宮外苑審判協会・栗原司朗氏ほか2名の方に来ていただきました。3週間にまたがり審判「座学講義」「実技講習」を受けました。

 少年野球審判に物足りなさを感じていた私は、明治神宮外苑絵画館前・野球場が会社の近くなので、仕事の合間をぬって審判の勉強をすることになりました。

 1984年11月23日「明治神宮外苑審判協会・第6回野球審判教室」の参加です。

 ダイナミックリーグも絵画館前・野球場で試合を時々行い、審判をお願いするようになりました。なぜかだんだんリーグ自体が「チームから審判派遣」が面倒になり、と、同時に「懐も暖かいし、お金ですむのであれば…」ということになりました。

 明治神宮外苑絵画館前・野球場は6面もあります。平日でも朝の6時から「冠大会」「中小組合大会」があり、私も仕事が遅番の日には審判を行うようになりました。

 そして、だんだん早朝野球、少年野球から離れ「審判修行」の道へと進むのです。

 また、私にとって「審判修行」は人間関係の新しい発見でした。会社の人間関係しか知らない私にとっては、新鮮な面もありましたが、だいぶ戸惑い・驚きもありました。何といってもチーム・選手との「出会い」に大きな魅力を感じました。

 結果的には審判の世界・草野球の世界をこの時期に知っておいて良かった。と、最近思うようになってきました。
(つづく)    


 (2005年3月15日)


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