【7】画期的な「草野球新聞」
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 1992年より私設リーグ「東京サタデーリーグ」の専属審判員になりました。この頃の想い出を書いてみます。

 リーグの会費は一人4千円、1チーム10人として4万円です。グランド費用、審判費用は別途でした。その最大の理由は写真のような新聞を毎月発行していたことでした。


 A3の4ページで観戦記、写真も多く掲載されておりました。この時期においては画期的な「草野球新聞」でした。私も「審判員から見た野球」というコラム欄にいろいろと書きました。

 リーグの運営には関っていませんでした。審判員としての関わりだけでしたのでとても気分的には楽でした。

 初めのころは5チームでしたが、毎年のようにチームが増えていき、最盛期には8チームになりました。

 私が紹介したチームで今でも首都圏サタデーリーグで活躍しているチームは、ボムス、トリックス、ワイルドフェローの3チームです。

 1995年のシーズンが終わり、次の年のシーズンに入ろうとする直前に主催者側が突然「リーグ運営放棄」をしてしまいました。いろいろと話し合いをいたしましたが、結論は出ませんでした。

 私は3チームを紹介した責任を感じ、「東京サタデーリーグ」を「首都圏サタデーリーグ」として改名して存続・発足させました。残念ながら「首都圏サタデーリーグ」に残りましたのは私が紹介しました3チームだけでした。

 さて、これから「首都圏サタデーリーグ」のチーム集めが始まります。と、同時ににわかに身辺が忙しくなり、電話、ファクスを酷使してのリーグ運営・審判活動が始まりました。(つづく)                        


 (2005年5月15日)


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