◇◇◇ 機関紙「損保のなかま」より転載(月に一度更新) ◇◇◇


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野村の欲目と筆者の偏見  ◎…親の七光りとカツノリ
”捕手のリード”とは
 カツノリ捕手をヤクルトから阪神へ引き取っただけでなく、キャンプで一軍に抜擢した阪神・野村監督のおかげで、実績ではカツノリを上回る選手が二軍キャンプを命じられてしまった。監督によるチームの私物化という批判に対し、野村監督は「どうせ情実と見られるのだから」と開き直ってえこひいきを認める。

 「李下に冠を正さず」どころか、衆人監視の中で、堂々と冠を脱ぎ、もぎ取った李をせっせと詰めこむ。

 親の七光りも実力が伴われなければいずれ…というかも知れない。しかし、捕手の「投手に対するリード」という評価には十分主観が入りこむ。損保の人事査定と同様、管理職が「あいつのリードは素晴らしい」といえば、なかなか反論はしにくいのだ。

 過去、捕手でMVPに選ばれたのはセ・パあわせて僅か四人、野村克也、中尾孝義、山倉和博、古田敦也である。野村と古田の場合はリード面の評価云々の前に、なにより目に見える打撃部門でアピールしたが、82年の中尾(中日=打率0.282)87年の山倉(巨人=打率0.273)の場合は「好リード」が決めてだったといわれる。確かに、中尾は小柄だったがその俊敏な動きや走力で従来の捕手像を一変させた好選手。しかし、リード面で誰をも納得させ得る客観的材料があっただろうか。87年の山倉(巨人)にしても、長年の功労という以外に、リードの優秀さを示す物証があっただろうか。「リードが優れている」という捕手への評価は、モノサシのない、実にあいまいなシロモノでもあるのだ。

 「いや、投手陣の防御率に反映されているはず」という説がある。たしかに82年の中日投手陣の防御率は3.27、87年の巨人投手陣のそれは3.06で、いずれもリーグトップである。しかし、考えてみれば優勝チームの防御率がリーグトップというのは常識(チーム防御率がリーグ4位で優勝した85年の阪神などは稀有な例)だから、改めて捕手の功績というほどのこともなく、この説にも根拠はない。

 野村監督の「選手を見る目」の高さには定評がある。南海監督(兼捕手)時代に、前年、東映で0勝に終わった江本孟紀投手を引きとって16勝させ、巨人でやはり0勝だった山内新一、松原明夫(のちに福士敬章)をそれぞれ20勝、7勝と再生させた。また、江夏豊投手にリリーフ・エースという、新しい道を歩ませてカムバックさせている。昨年の遠山投手のケースも劇的だ。野村監督はその「目の高さ」で周囲を黙らせ「まあ、見てみろよ」をカツノリを押し売りする。
 
 だが…ご存知サッチーのヌード本が売れないのは、「見てみろ」といわれても、とても「見る気にならない」からではないか。カツノリも…と思うのは、多分、野村一家に対する筆者の偏見だろう。偏見対親の欲目、どちらもどちらか。

(「損保のなかま」2000年3月1日号より転載)


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佐々木の”比較三原則”  ◎…フォーク過信は禁物
威力は野茂の方が上
 誰もが、人より優れたものを持っているという。「君の長所を生かせ!」とはよく語られるサラリーマンへのアドバイスでもある。一般論としてはそのとおりだろう。だが、自分の長所をどう正しく認識するかが問題だ。長所とは、ある部分部分を指すばかりではないからだ。たとえば、マリナーズ入りした佐々木主浩(元・横浜)のフォークにしても、そうである。

 佐々木投手は、横浜時代より実質年収ダウンでのスタートというのが真相である。年棒吊上げの目的でみせかけの大リーグ入りをちらつかせた某選手より志は遥かに高い。ぜひ頑張ってもらいたいと大きな応援の拍手を贈りたいのだが、不安の種もある。それは、佐々木のフォークが大リーグで通用するかどうかという点である。

 いま手元に、カメラと流体力学で分析した野茂、伊良部、佐々木投手のフォークボールに関するデータがある。それによると、野茂のフォークはボールが手を離れてから落下開始までが11・1メートル。残り7・3メートルで45センチ落下する。伊良部は落下開始地点が10・5メートルで残り7・9メートルで28センチ沈む。佐々木は落下開始が9・2メートル地点、ホームプレートまでの9・2メートルで42センチ落ちる。(なお、最速ストレートは野茂154キロ、伊良部156キロ、佐々木150キロである。)

 このデータから見る限り佐々木はフォークの落差と鋭さで野茂の絶好調時に遥かに及ばない。落差の差こそわずか3センチだが、問題は落下に要する距離である。それが短ければ短いほど威力は増すのだが、野茂の7・3メートルに対する佐々木の9・2メートルはかなりの違いだ。時間に換算すると野茂のフォークは0・1秒で20センチ落下するという計算になるが、これは人間の視野の限界を超えている。野茂のフォークはまさに「消える魔球」なのだ。

 にもかかわらず、日本の打者が、野茂よりむしろ佐々木の方を打ちあぐんでいる(防御率で佐々木が勝る)理由の一つは、佐々木の方が野茂(185センチ)より身長が4センチ高く、身長のない日本人の打者は「アゴが上がってしまう」状態になることだ。しかし、多くの大リーグの打者にとって佐々木の189センチは並だから、そうはいかないはずだ。

 つまり、佐々木は自身のフォークを過信してはいけないのである。佐々木のフォークは決して「世界一」でも「日本一」でもなく、球速も含めて「球威」の部分部分では野茂や伊良部に勝るものではないのである。だだ、佐々木の150キロはコンスタントに出せる強みがあるし、制球力でも野茂や伊良部を上回る。この安定性・制球力に、総合力を加えて「比較三原則」とすれば、そこに佐々木の長所が見えてこようというものである。

(「損保のなかま」2000年2月1日号より転載)


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最初にガツンと  ◎…1日に2本の真弓(阪神)
勇気ある「先頭打者ホームラン」
 新年である。綺麗に掃き清められたこの真新しいグランド上に誰がどのような足跡を記し、どんな文様を描くのか。いろいろあった昨年を踏まえて、誰もがそれぞれの立場で決意新たに「プレーボール」コールを待つ。

 というわけで、新年第一稿は「初回先頭打者ホームラン」を取り上げよう。今年の開幕は例年より早い。その開幕第一戦の先頭打者が、投手の第1球をいきなりホームラン、ファンファーレが鳴り止まぬうちにベースを一周する…こういったシーンが過去に一度だけあった。1962年4月7日、打ったのは衆樹(阪急)で打たれたのはスタンカ(南海)である。

「開幕第一戦・初球」という枠を外せば「先頭打者ホームラン」は数多い。昨年は緒方(広島)が8本で、福本(阪急)、ヒルトン(ヤクルト)、石毛(西武)、デューシー(日ハム)と並ぶ日本タイ記録。ただし、うち「1回表の7本」は新記録だった。通算日本記録は福本(阪急)の43本だが、真弓(阪神)の41本もこれに迫る記録だ。

 初回表の初球を1シーズン2度もホームランしたのが1990年の野村(広島)。いかにも積極的な野村らしい記録だが、真弓(阪神)は1日2本の「初回先頭打者ホームラン」という離れ業を記録している。

 1980年の対中日戦で、打たれた投手は都と星野(現監督)。真弓には他にも「一回の表と裏で2試合連続」というケースが二度もあり、まさに阪神の「史上最強のトップバッター」の名に恥ない実績。

 初回先頭打者ホームランは、良質なミステリーの導入場面のように、いきなりの衝撃で謎を設定し、今後の波瀾を予感させて観る者をゾクゾクさせる。しかし、それにしても、1957年のバルボン(阪急)の場合は、あまりにも展開が予想外すぎた。狭い西宮球場のレフトスタンドギリギリまで風に運ばれたその1打に目が覚めたのかマウンド上の「眠れるサイちゃん」こと稲尾投手(西鉄)。そこから河野・岡本・戸倉と三振に斬って取ったのを皮切りに、以後27人の打者を立て続けにバッタバッタとなで斬り。結局「初回無死から9回3アウトまで」一人の走者も許さなかったのである。

 ゲームは西鉄が高倉のサヨナラ打で勝利したものの、通算276勝の大投手でありながら、ツキにも恵まれずついにノーヒット・ノーランを一度も記録することのなかった稲尾の不運を象徴する、悔しい悔しい「初回先頭打者ホームラン」だった。

 新しい年の最初の出来事がその年を規定するわけではない。そうは言っても、初頭から素晴らしい成果を挙げ、流れを作り、勢いづいて押せ押せといきたい…立場によって思い浮かべる場面は違っても、誰しもがそう願っているのである。

(「損保のなかま」2000年1月1日号より転載)


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チームの魅力とは  ◎…ファンと選手の間の溝
四番打者に去られた広島
 「FA選手の留任に金はなく、他球団FA選手の獲得はしないときめている。広島は金満球団のための選手育成球団という特化路線をめざすのか…」
 四番打者・江藤に去られた広島ファンの怒りである。他球団が見向きもしなかった無名の高校生を二度の本塁打王獲得という大選手に育てた広島。球団と江藤は「育ての親子」だ。

 だからと言って、ファンはけっして選手のFA権を否定したりはしない。また、95年に、60%アップの年俸1億6千万円を不満の江藤が、「入った球団か悪かった」と公言したときも(11/19日刊ゲンダイ)、選手も事業主である以上、当然だと理解を示してきたのである。

 しかし、いざ移籍が現実ともなれば、ファンは、自分と選手の間に横たわる深くて暗い谷を思い知らされる。ファンから見れば所詮、選手は「傭兵」である。報酬と引き換えに村人のためにたたかう七人ならぬ「九人の侍」である。ファンは球団とともに生き、球団の栄光を自分の栄光として人生に位置付ける。ファンは仕事が完了すれば去って行く侍と違って、一生、村から離れることは出来ない。

 ファンにとっての理想は、選手がチームのファンであってくれることだ。ならば、選手がチームに骨を埋めたいと思う魅力とは何かが真剣に模索されるべきだが、球団のやっていることといえば、「将来のチームの指導者」という地位手形の発行だけだ。今年はそれで緒方をかろうじて引きとめたが、この手法は、金で選手を漁る球団とどこが違うというのだろう。

 かつて、広島ほど、ファンが「自分の球団」として見も心も捧げたチームはなかった。原爆で打ちのめされた街の希望が球団だった。大企業に頼らず、市民一人一人に依拠する球団へのカンパで身上を潰した人も、それはそれで幸せだった。選手の給料には、市民の差し出したしわくちゃの札がそのまま配られた。ファンと心が結ばれていた選手達は「夜行・三等車・四人掛・15時間」という遠征にも不平はなかった。

 こういった歴史が、神戸大地震に際して、ファンとオリックスを堅く結びつける先導ともなった。ファン自身がプロサッカーチームを作っていこうという横浜における壮大な試みにも生かされた。広島とファンが作ったチームのあり方は現代も息づいているのだ。だから今、チームの魅力とはなにかの答えは出せるはずである。なにも原爆や地震がなければ結集点が見えないというわけではあるまい。政治の貧困とリストラの中でもがくファンとどう連帯するのかを国民の目線で率直に考えればいいのだ。選手が「一人の国民として」の視点を持ったときファンとの結合は深まる。「七人の侍」の一人、木村功のように、村娘と結ばれ一生を村で送ろうと決意する選手も現れるというものだろう。

(「損保のなかま」12月1日号より転載)


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作成されたタイトル  ◎…問題提起した上原の涙
噴飯ものの山本・掛布討論
 松井(巨人)とホームラン王を争っていたペタジーニ(ヤクルト)に対し、ベンチから敬遠の四球を指示されて上原(巨人)が悔し涙を流した。この事件について山本浩二氏(元広島)と掛布雅之氏(元阪神)がTV論争していたが、二人とも条件付きながら結局は「タイトル争いのための敬遠を認める」と、世論に逆行する意見だった。

 ご両人とも、チームの「協力」でタイトルを確保した実績があるからこの結論は、さもありなん、だろう。山本は75年の首位打者争いで、チームがライバル・井上弘昭(中日)を満塁で敬遠するという史上初の汚点を残してまで協力したし、掛布の場合は84年のホームラン王争いでライバル・宇野勝(中日)を10打席敬遠という、これまた史上初の記録を添えたものだった(掛布も10打席敬遠された)。

 それに忘れてならないのが、この二人にはサイクルヒット「作成」疑惑があることだ(といっても山本は協力されただけだが)。83年4月の阪神・広島戦。あと三塁打だけという打席で左中間を破った山本は、記録を狙って無理矢理三塁へ突っ走った。待ちうける掛布はニヤニヤ笑いつつ、なぜか山本が滑り込んだ後から一呼吸置いてタッチ。この疑惑プレーに連盟は審判団に報告書の提出を命じたが、報告書は「タッチしなかったのはグラブがベースに引っかかったもの。笑ったのは顔が自然にほころんだもの」という、まさにお笑い的内容だった。

 先ほど「汚点」と書いたのには根拠がある。野球協約117条によれば「勝つための最善の努力」を怠った場合は「敗退行為」として「永久資格停止」「職務停止」等の厳しい罰則が課せられることになっているからだ。満塁での敬遠はむろん、いくら大差であろうが、アウトに出来る相手を故意にセーフにするなど、まさにそれに抵触する。(ゲームに勝つ手段としての敬遠は認められる)。

 最大の「敗退行為」は、82年10月17日、大洋・中日最終戦の関根潤三・大洋監督の采配だろう。中日勝てば優勝、もし大洋勝ちなら全日程を終えている巨人の優勝という重大なゲームであったにもかかわらず、大洋は試合を捨てて自チーム長崎啓二の首位打者獲得を優先したのだ。すなわち、長崎を出場させず、1厘差で追う中日の田尾安志を全打席敬遠するという挙に出たのである。最も怖い相手打者の欠場に加え、無条件に5度も1番打者を出塁させてもらった中日は楽勝、巨人ファンは地団駄踏んで悔しがった。それにしても巨人はなぜ連盟提訴という手段を採らなかったのだろう。これでは「職務停止」も「資格停止」も空文だ。顧客・ファン無視、持たれあいの産業論理はスポーツ界も例外ではない。
 しかし、心あるファンは、タイトル者名簿に「チームの敗退行為的協力の有無」の一頂を挿入していることをお忘れなく。

(「損保のなかま」11月1日号より転載)


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応用問題解けぬ硬直的審判  ◎…優勝に影響した?誤審
幻のホームラン考
 9月10日、甲子園での阪神・巨人戦。清原(巨人)の打った一打は間違いなくスタンド・インした。しかし審判の判定は二塁打。この「幻のホームラン」は優勝を逸する一打かも知れなかった。というわけで、今月号は「幻のホームラン考」である。

 幻の本塁打にもいろいろある。第一はベース踏み忘れ。有名な長嶋(巨人)の一塁ベース踏み忘れがその嚆失。

 第二は前走者追い越し。今月9月14日にディアス(広島)がヤクルト戦で記録したが、第一号は穴吹(南海)。悲劇的だったのが昭和42年の白仁天(東映)。5−3と2点リードされた9回裏、無視1・2塁で放った白の一打は「逆転・サヨナラ・ホームラン」のはずだったが、白は一塁走者を追い越して同点止まり。挙句の果てに10回表に決勝点を奪われてチームも負け。まさに踏んだり蹴ったりの幻のホームランだった。

 第三はタイムに気付かず投げた投手のボールを打ったもので、近藤和(大洋)の幻のホームランなどがある。

 第四は雨などでノーゲームになった場合で、最多。

 第五はコールドゲームで打った場合で、話は少々ややこしい。以前は裏の攻撃のない表の記録は一切認められなかったが、最近では勝敗に関係ないものは記録として認められる。たとえば、平成2年4月22日、2−4と負けている7回表、落合(中日)が佐々木主浩(横浜)からソロ・ホームランを放った。その直後雨が激しくなって7回表横浜の攻撃がないままコールドゲーム。この落合の一打は記録として成立するが(得点も3−4となる)、昭和62年にもホーナー(ヤクルト)が0−1の劣勢から7回表に打った「同点ホームラン」はその裏の相手の攻撃がなかったため取り消しとなる仕組みだ。

 第六が誤審によるもので、今年は、冒頭の清原のほか、町田(広島)などもこれに泣いている。外野席にいたファンはむろんのこと、テレビ観戦の日本中のファンがホームランと認めているのに、審判だけが一度下した判定は最終的なものと硬直的なのだ。「野球はなにが起こるかわからない」というが、審判の判定に関する限り、結論は最初からわかっている。
 昭和22年の話。阪神・東映戦で、櫟(阪神)の一打が、スタンド・インか、フェンスに当たってグランドに戻ってきたかで揉めた。結局、審判は後者と判定し阪神は1点差で負けたが、提訴を受けた連盟は「規則委員会」を開いて審議して再試合の決定を下した。なんと初々しい「戦後民主主義」の時代であろうか。社会や人や議論に対する、なんとふくよかな信頼が存在した時代であろうか。マニュアル通りの処理しかできず、応用問題を解こうともしない硬直的な審判のあり方は、論議もせずになんでも数だけで決めてしまう国会の野球版ではないか。

(「損保のなかま」10月1日号より転載)


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打てる投手の魅力  ◎…ガルベスが2本の満塁弾
松坂(西武)にもバットを持たせたい
 ガルベス(巨人)が今シーズン2本目の満塁本塁打を打った(8月13日・対横浜)。しかも逆転のおまけつきだから鼻息が荒くなるのも当然だろう。自身の今シーズン第3号でもあった。「打席のガルベスは怖い」とセ・リーグの各投手は言う。振りは鋭いし、なにより闘争心がある。特に走者がいる場合のガルベスは相手にとって要注意なのである。

 投手で1シーズン2本の満塁本塁打というのはプロ野球新記録。そもそも、投手で満塁本塁打を通算2本打ったのは他に成田文男(ロッテ)がいるだけだから「ホームラン打者・投手ガルベス」はおおいに評価されていい。

 投手としての通算本塁打数36本という最多記録を持つ金田正一(巨人)、33本の米田(阪神)、31本の別所(巨人)でさえ、満塁本塁打となると1本もない。(通算本塁打=金田は実際には38本打っているが2本は代打、つまり打者としての記録。別所も打者として4本打っていて個人としては35本。また、後出の服部受弘も1シーズン2本の満塁本塁打を打っているが、1本は代打でのもので「投手」の記録から除外される決まりである)。

 ということで、ことのついでに投手の本塁打を調べて見ると…。通算では前記の金田、別所、米田がベスト3だが、続いては平松(大洋)の25本、堀内(巨人)の21本と続く。1試合では3本打った投手は二人。一人は堀内(巨人)でもう一人は川崎徳次(巨人)。やはり巨人の歴代投手には強打者が多い。

 しかし、前記成田や平松も「3試合連続本塁打」という記録を持ち、同時に二人とも1シーズン5本を記録しているから、両者、打撃にも非凡な才能を持っていたことがわかる。
 1シーズン最多本塁打は藤本英雄(巨人)の7本。続いて服部受弘(中日)と別所(巨人)の6本。さて、ガルベスはこれらの記録にどれだけ迫るだろうか。

 それにつけても残念なのが松坂(西部)だ。セ・リーグにいたら、投手としての本塁打記録を塗り替えたかも知れないあの打撃のセンス…。いまさらDH制をどうこう論じるつもりはないが、制度のためにバットを取り上げられ、投手としての「本塁打記録」を打ち留めにされた前記米田(当時・阪急)とともに、打者としての才能を封印された松坂が残念でならない。

 ファンは、選手の専門分野における磨きぬかれたプレーとともに、非専門的部分でも思わぬ能力を発揮する選手に心打たれ、夢と勇気を貰う。心理学的にいえば、期待される役割、つまり外的要請に応える行動より、その人らしさを発揮する自己表出的行動の方に、より人間の魅力を感じ取るのである。“制度”は出来るだけそれを阻害しないものが望ましい。

(「損保のなかま」9月1日号より転載)


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グランドの民主主義  ◎…大リーグの健全さ
浮き彫りになった日本プロ野球の歪な姿
 日本のオールスター・ゲームに先だって、大リーグのオールスター・ゲーム(7・14)をTV観戦した。わかったことはアメリカ野球の健全さと、オールスターのファン投票で、最悪の成績に加え怪我で出場ではないことがわかっている清原(巨人)が、ただ巨人の「4番打者」というブランドだけでトップ当選するような、日本プロ野球の歪な姿の、あまりにも鮮やかなコントラストである。
 始球式に出てきたテッド・ウイリアムズ。80歳。最後の「4割打者」である。車椅子の彼をいたわり、まるで少年ファンのように感激するあのソーサやマグワイア、そしてピアザ…感激の涙を浮かべる選手も。

 「長嶋(巨人監督)さんて、そんなに凄い選手だったんですか?」と、記者に聞くジャイアンツの若手選手。「私なんかキャンプに行っても、あのオッサン一体誰?と言う顔されますよ」と嘆く、プロ野球史上屈指の名二塁手、高木守道(元・中日ドラゴンス監督)。あまりにも違いすぎる。
 大リーグでは、誰もが過去の上に現在が築かれていることを知っている。自分は他人との関係の上に存在しているという思想と教育が行き届いている。先輩は体育会的上下関係としてではなく、心から尊敬されている。
 日本では現役をリタイアすれば「使用期間終了」だ。出ては消え、出ては消えるおびただしい歌や歌手と同様、リストラのターゲットである中高年労働者同様、日本社会の使い捨て思想から野球界も例外たりえない。

 もうひとつ。予定通りに進まなかった開会式のことだ。30分も遅れたが誰もイライラしていない。こんなに素晴らしい開会式ならいくら時間をかけてもいい、という合意がその場で即座に出来る、その凄さ。この観客主権のアメリカと、すべてをスケジュール通りに運ぶ主催者主権、形式主義日本。その思想は球場の作り方にも表れている。日本の球場はグランドと観客席を冷たく高い金網が隔てる。観客は完全に球場の管理下にある。アメリカではグランドとスタンドの間に金網がない。ファンはグラブをもって観戦、いやゲームに参加しに来る。グランドに乗り出してボールを取ろうとさえする。選手もそれに応えてしばしばグランドにボールを投げ入れる(そういえば、フェアの打球を投げ入れてしまい、ファンからそのボールを取り戻そうとしてもみ合っている「珍プレー」があったね!)。アメリカのグランドには草の根民主主義が根付いている。

 日本のプロ野球を素晴らしくする道は、まずファンが巨人マスコミから自立し独自の価値観を養うことだ。主権者意識を持つことだ。年配者や他人を大切にすることだ。そうすれば…そうすれば、野球だけではなく日本が変わる。

(「損保のなかま」8月1日号より転載)


※機関紙「損保のなかま」伴編集長のご厚意により転載が許可されました。毎月更新。感想は掲示板にお願いします。(首都圏サタデーリーグ会長 臼井 淳一)

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