3月11日、東日本大震災が発生。未曾有の被害が出て、今も数多くの人々が不自由な避難生活を強いられている。そんななか、国内外のスポーツ界から多くの激励のメッセージが寄せられた。
が、スポーツ関係者に注意してほしいことがある。それは「スポーツは多くの人を励ます」と安易に考えないことだ。
たしかにスポーツの持つ力は小さくない。スポーツマンが懸命にスポーツに取り組む姿が、被災者の心に勇気を奮い起こすこともあるだろう。
しかしスポーツは、「身体エネルギーの非生産的な浪費」でもある。つまりスポーツは、人間が生きるうえで必要なものを、具体的には何も生み出さないのだ。
スポーツの語源は、ラテン語のデポラターレ。その意味は「日々の労働を離れた非日常的な時間と空間」のこと。つまり「遊び」や「祭り」の時空間で、「レジャー」「余暇」という意味合いが強い。
それだけに、労働が中心の日常生活がしっかりと成立していて、初めて成り立つものがスポーツだといえる。大震災で「日常」が破壊された地域には、当然「非日常」のスポーツも成立しない。
スポーツマンがスポーツ(非日常的活動)で被災者に勇気を与えることができるのは、被災地に「日常生活」が少しでも取り戻されてからのことなのだ。
そして、「日常生活」を取り戻してない人々がまだまだ多いなか、スポーツという非日常的な活動を行うことが許された場合は、それを許してくれた人々への感謝の気持ちを忘れず、一所懸命にプレーする…というのが、すべてのスポーツマンの最低限の義務と言えるだろう。
そのとき初めて、スポーツは被災者を励ますことができるに違いない。
(スポーツライター・音楽評論家。国士舘大学体育学部大学院非常勤講師。著書多数) |