10月に東京で開催された世界体操選手権で、日本の内村航平選手が見事に世界初の個人総合3連覇を達成。団体は惜しくも中国に敗れて2位に終わったが、誰もが認めた美しい演技とともに、「体操ニッポン」の面目躍如たる活躍を見せてくれた。
かつて日本の男子体操は、1960年のローマ五輪から78年のストラスブール世界選手権まで、五輪5大会、世界選手権5大会、合計10大会、約20年間にわたって団体世界一を記録。世界に冠たる「体操王国」を築きあげた。
それは、戦前から全国の小学校体育で、鉄棒、跳び箱、マット運動などの体操教育が盛んだったこと(サッカー、バスケット等の球技が体育になかったこと)、そのうえ、江戸の火消し(鳶職)や忍者など、身軽な動きが日本の歴史的伝統文化としてまだ根付いていたから、ともいえる。
が、体操の授業時間が減り、伝統文化が忘れられるとともに日本の体操は低迷して五輪でも負け続け。しかし、かつての小学校の体操教育から町の体操教室(体操クラブ)へ、選手育成のルートが変化した結果、「体操ニッポン」が復活した、といえそうだ。
そのような「学校→地域社会のクラブ」というスポーツ環境の変化とレベルアップは、街の水泳教室、サッカーJクラブのジュニア・ユース、野球のリトルリーグやボーイズリーグ、さらに文科省が推進する地域社会の総合型スポーツクラブ等、多くのスポーツで出現している。
が、中学高校では学校単位のスポーツがまだまだ盛んで中高の体育連盟などの組織に登録しないと全国大会に出られない競技がほとんどだ。
学校体育から地域社会のスポーツへ。その転換は高齢化社会(高齢者スポーツ)にとってもプラスのはずだが…。
(スポーツライター・音楽評論家。国士舘大学体育学部大学院非常勤講師。著書多数) |