今年は4年に1度のワールドカップ・サッカー(W杯)の年。しかも世界一サッカーの人気が高いブラジルで開催されている。
とはいえブラジル国内は少々不穏な空気に包まれ、「W杯に巨額の金を使うより、教育や福祉に使え」と主張するデモが、昨年のコンフェデ杯のとき以来、各地で繰り返されている。
しかし、長い歴史のなかで考えれば、こういう「騒動」こそフットボール(サッカー)の本質と言えなくもない。
フットボールの歴史は非常に古く、紀元前数世紀の古代メソポタミアで、大勢の群衆が「丸い物」を奪い合った遊びに起源を発している。
「丸い物」とは太陽の象徴であり、闘いながら太陽を奪い、目的地(ゴール)まで運んだ者が部族の支配者になったという。
そんな「太陽の奪い合い」が古代ローマでカルチョと呼ばれ、中世フランスに伝わり、クリスマスや復活祭に身分を問わずに参加できる無礼講的な遊び(ラ・シュール)として発展。
それがイギリスに伝わった後、産業革命で工場用地として農地を奪われた農民たちが、抗議の意思を表す手段として行うようになり、モブ(暴動)フットボールと呼ばれるようになった。 そんなフットボールは中世以来、何度も王や議会から禁止令が出されて弾圧されたりもしたが、やがてイギリスでルールが整えられ、「太陽の奪い合い=世界の支配者を決める遊び」はスポーツとして人気を博すようになった。
そして今年は、その「政治的遊び」が「政治的反対」の声にさらされているわけだ。
それがどんな結末を迎えるか。
優勝国の行方とともに目が離せない展開である。
(スポーツライター・音楽評論家。国士舘大学体育学部大学院非常勤講師。著書多数) |