スポーツ博覧会
スポーツ・ライター 玉木正之


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 ■54 スポーツ教育のすすめ

 先日、ある大学のスポーツ学部で教える有名な教授の本を読んでいたら、「人類がスポーツを楽しむようになった背景には産業革命があった」という記述があった。 

 この本にある「仕事から解放された自由な時間が生まれ」「生活にゆとりができ」「スポーツをしたり見たりする文化が生まれたのである」という話は、よく耳にする通説ではある。が、この理屈では古代ギリシャでオリンピアの祭典が千年以上にもわたって開催された理由が説明できない。
 また、非常に豊かに栄えた国々(唐や元、明時代の中国や、ササン朝やアケメネス朝時代のペルシア、セルジューク朝やオスマン朝時代のトルコなど)に、スポーツが生まれなかった理由も不明だ。

 それらの疑問を解決する考えは、多木浩二氏の『スポーツを考える』(ちくま新書)に書かれている。それは民主主義の発達と共にスポーツが生まれた、というものだ。

 古代ギリシャの直接民主主義にしろ、近代イギリスの議会制間接民主主義にしろ、民主主義は選挙や投票、会議、話し合いといった方法で都市や国のリーダーを選ぶ。民主主義が生まれる以前は武力や暴力で権力を奪った者がリーダーとなった。つまり民主主義の根本にあるのは非暴力で、その考えが浸透するとともに、暴力的だった競技にもルールが整えられ、レスリングやボクシング、フットボール(サッカーやラグビー)などのスポーツが生まれた、というわけだ。
 日本で柔術という戦場での格闘技(殺人技)が、柔道というゲームに整えられたのも、立憲君主制民主主義の社会になった明治時代だった。
 我が国の体育教育では、そのようなスポーツの意味を教えない。が、体を動かすだけでなく、「スポーツ文化理論教育」も大切なはずだ。

(スポーツライター・音楽評論家。国士舘大学体育学部大学院非常勤講師。著書多数)


(「損保のなかま」2014年10月1日付より)


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