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今年度からプロ野球は百四十試合になる。昨年より「五試合増」をめぐって一時は選手会がストも辞せずと反対した。結局、増えた五試合の中から選手会へ年金分として収益が割り振られるということでストは回避された。
今回の試合増をめぐっては選手会側から、増えた試合分を地方開催とすることや、セ・パ交流試合という提案も行われた。生のプレーを観る機会の少ないファンのために地方試合を増やすことや交流試合に開催は、野球ファンの裾野を広げ、巨人人気に頼りきっている構図を変えるきっかけになるかも知れない。 だが、コミッショナー側の回答は「検討」に止まったままだ。子供たちの野球離れや大リーグへの選手流失という事態への危機感は感じられない。 選手会の甘えも気になる。大リーグは年間百六十二試合。その後にリーグ優勝決定戦を経てワールドシリーズとなる。全部フルに戦うと十九試合だ。これに対して選手が不平を言ったということは聞いたことがない。彼らは条件面ではきっちり要求するが、ファンを満足させる戦いを見せる。 日本ではどうだろう。サイン一つとってもファンに対して冷たい選手が少なくない。球団も選手も目先の利益ではなく、野球界の発展へどう貢献していくのかが問われている。 (「損保のなかま」2001年3月1日号より転載) |
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台湾のプロって、日本の二軍くらいですか」。よく聞かれる質問である。その都度「日本と全く異質のプロですよ」と答え、その説明をする。
日本で活躍した郭源治、郭泰源、呂明賜らをみても分かるが、台湾のトップクラスはレベルが高い。現在、西武にいる許銘傑投手にしても、大リーグが狙っていた。彼らと互角に近い力を持った選手が、各チームに3〜4人はいる。 しかし、それ以外になるとがくんと実力が落ちる。日本の二軍以下という選手も少なくない。そこで、チームプレー中心の日本の野球とは全く異質な、台湾式の野球をすることになる。 “台湾式”は、かつて日本から教わったものに、個性や個々の能力をフルに活かす大リーグ式をミックスしたもので、一挙に大量点を欲しがるプレーが多い。一方はやらじと抑えにかかる。その激突が台湾式であろうか。 このような野球が、賭けごとのターゲットになるのに時間はかからなかった。もちろん違法行為。賭博をした人も、かかわった選手も逮捕され、実刑となる。97年、軌道に乗り出したプロ球界に八百長、賭博の嵐が吹き荒れた。 90年にプロ(中華職棒連盟=CPBL)ができ、また、CpBLの盛況を見た他のグループが97年に新リーグ(台湾大連盟=TML)を興して対立した。この2リーグと八百長がらみで混乱し、ファンもあきれそっぽを向いた。 そうした中で、かつて日本のプロ野球でエースとして活躍した渡辺久信と石井丈裕投手(いずれも西武のエースとして働いた)が、TMLで破格の月給2百万円という給料で働いている。しかし、リーグは目下は大赤字で一リーグへ合併の話し合いが続いている。 選手は月給制でその平均収入は70万円(約二万NTドル)。両リーグ4球団づつの構成で年間80試合前後する。 [写真は渡辺久信投手(TML)] |
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佐々木主浩投手(横浜→マリナーズ)が新人王になり、日本で7年連続首位打者のイチロー選手(元オリックス)もマリナーズ入り。このところ日本球界では大リーグのニュースが続いている。
ところが、大リーグのスカウトたちは、日本を東アジアの基地にして韓国、台湾、中国からベトナム、タイにまで足をのばしている。 ことに注目を集めているのが台湾だ。台湾にもプロがある(2リーグ、8球団)。かつては、郭源治(中日)、郭泰源(西武)、荘勝雄(ロッテ)、呂明賜(巨人)のような選手が日本で活躍した。いまは兵役のことなどもあって、日本では兵役前の若いプロ野球未経験選手を獲得することができなくなっている。 しかし、大リーグは、徴兵制度なんのその。渡米して30歳までに帰国しなければ兵役免除という特例を活用して、高卒、大学在学中の選手を次から次へと獲得している。 今年4月、ヤンキースは191センチ、95キロで151キロの速球を投げる王健民投手と契約した。台南市出身の王健民は20歳で台北体育専科学院2年に在学中であった。もちろん兵役前で、規則上は兵役を終えなければ、プロ入りは国内外を問わず禁じられている。 しかし、学院の高英傑監督も両親も米国行きに賛成した。「兵役前にアメリカのプロに入れば帰国できません。帰ってくれば二度と出国できないからです」という覚悟で当人はヤンキーと170万USドルで契約した。王健民以外に台湾ではこの2年間に曹綿輝(投手=18歳)がロッキーズ、郭泓志(投手=19歳)がドジャースと契約、兵役済みの選手では陳金鋒(22歳=外野手)がドジャース入りした。 「新しい人材市場だよ」。スカウトたちが平然と言う時代になってきている。 (「損保のなかま」2001年1月1日号より転載) |
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エースの中のエースの証明とされる「沢村賞」が、今年は16年ぶりに該当者なしとなった。沢村賞はご存知プロ野球創生期の怪腕投手沢村栄治をたたえてできた賞である。
それだけに、先発完投型の速球本格派に与えられた。当初はセ・リーグの投手のみを対象としたが、平成元年からはパの投手も含めるようになった。そして15勝以上、防御率2.50以下、勝率6割以上、10完投以上、奪三振150以上、登板試合25以上、投球回数250以上といった条件を満たした投手という内規を設けた。 投手分業全盛時代だけに、ついに沢村賞に該当するような本格的な投手がいなかったということだ。 そして思い出すのが、24歳でプロ入りするまで硬球を握ったことがなかった大友工(元巨人)の堂々たるピッチング内容だ。昭和24年に入団した大友は、三原監督のアドバイスで横手投げに変えた。 以後、別所穀彦、中尾碩志らの仲間や、杉下茂(中日)、金田正一(国鉄)らに一歩もひけをとらずに投げまくり、昭和28年、ついに並み居る豪球魔球投手たちを押しのけて沢村賞を獲得した。43試合に登板して22完投、27勝6敗、防御率1.85という素晴らしい成績だった。 元気に巨人軍やプロ野球を見つめる大友さんにお会いすると「どうして投手だけ分業なんぞがまかり通るようになったのだろう。初めから野球は9回、投手は完投するのが仕事だと思ってやっていれば、できないはずはなかろうに。何でもいいから勝ちさえすればいいというのでは本当のプロじゃない」と、分業への不満を漏らされた。強力打者をねじ伏せたエースの言葉には迫力があり、考えさせられた。 (「損保のなかま」2000年12月1日号より転載) |
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プロが参加した9月のシドニー五輪野球は、ひとしきり投手の球の速さが話題をさらった。ことにキューバの若き速球王M・ロドリゲス(20=16歳のとき巨人キャンプに留学)はMAX162キロで注目を集めた。シドニーでは160キロが最高だったが、これは当然、五輪野球史に残る速さだ。
もう一人、キューバでエース級のJ・コントラレス(26)も速かった。153キロを投げ、しかも制球力抜群で、球質が重く、このピッチャーを見た日本やメジャーのスカウトたちをうならせた。 彼らと並んで高評価だったのが日本の若きエース松坂大輔(20)だった。 最速155キロを投げ、同時に139キロの高速スライダーで怪力打者を封じる様に、米マスコミは「即大リーグ級」の折り紙をつけた。 このように投手の伝説は、なんといってもスピードになる。過去を見ても、やはり主役は速球王である。これに色づけをしたのが、とてつもない変化球をあやつった投手たちであった。 なぜ速球が一番なのか? プロ野球のスカウトたちは「投手を見るときは、まず球の速さを見る。130キロのスピードしか持たない投手は、いかに鍛えても140キロを超えることはない。それに150キロを投げる人なら、少々不調でも140キロ台の威力で投げきる力が出る。速さは最大の武器なのだ」という。 そこで活躍しているのがスピードガンだ。いまやスカウトの七つ道具の一つであり、敵情視察の先乗りスコアラーやチーム付きビデオ隊の必携となった。もともと車のスピード測定目的で開発されたのが、野球の伝説を生み出すハイテク“兵器”として活躍している。 [写真は歴代最速との評判が高い尾崎行雄(東映)だが、残念ながらスピードガン記録が残っていない] (「損保のなかま」2000年11月1日号より転載) |
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オリンピックの野球競技は今回からプロ選手の参加、木製バット使用、五輪用ボール(日本プロでの使用球より重く感じ、糸山が高くて飛ばず、変化球が鋭くなる。手の大きな投手に有利)などルールも大幅に変わった。
日本は24名中プロから8名が参加してチーム編成した。投手はパを代表する松坂(西武)、黒木(ロッテ)の速球派2名とリリーフ役で売りだし中の河野(広島)。太田垣監督はこの3投手を中心に必勝作戦を考えていたが、それぞれ期待通りに実力を発揮した。 五輪出場は8カ国で強敵はキューバ、米、韓、豪、の4カ国といわれたが、このうち豪が予選を突破できなかった。キューバは8年前のメダルの主力をほとんど出してきた。これは慣れない木製バットの克服をベテランで計ろうというものだった。決勝でアメリカに敗れて銀メダルは意外だが、実力は衰えていない。 米国はメジャーOBが中心との噂だったが、T・ラソーダ監督の意向で来年はメジャー入り確実とされる3A、2Aの若手中心となった。「パワフルで荒荒しいプレーに日本投手は吹っ飛ばされるのではないか」と恐れられたが、決勝ではキューバを破って金メダル獲得は最高の結果となった。 初のメダル狙いの韓国は文字通りドリームチームを編成して日、豪など眼中にないほどの鼻息でライバル日本を破って銅メダル。 こうした中で日本は、持ち前のきめ細かい野球とチームプレーが十分に出来るかどうかが鍵だった。まず初日の対米戦で松坂がどんなピッチングをするかで日本の命運がわかると思われた。アメリカ、韓国と予選リーグで松坂が投げたゲームも準決勝での韓国戦もいずれも勝てなかったが、責任を果たした投球だったといえよう。日本の打力は強打の松中(ダイエー)、中村(近鉄)に田中(日ハム)、田口(オリックス)の4人がさすがプロの力を発揮した。俊足で小技のよいアマ選手とのコンビでアメリカや韓国と互角の勝負を繰り広げたがアマ選手の打力は明かに力不足。オリンピックで初めてメダルなしという結果は、改めてオリンピックチーム作りの課題を突きつけられた。 (「損保のなかま」2000年10月1日号より転載) |
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※機関紙「損保のなかま」伴編集長のご厚意により転載が許可されました。毎月更新。感想は掲示板にお願いします。(首都圏サタデーリーグ会長 臼井 淳一) |