|
カリブ圏の野球は、総じて日本よりプロは歴史が古い。 なかでもベネズエラはプロの協会ができたのも約八〇年ほど前になり、メキシコとともに「カリビアン・シリーズ」の第一回から出場している。
なぜウインター・リーグかといえば、猛暑を避けて毎年十月〜一月末に行われるこのリーグ戦こそが、国内最高レベルのプロたちの戦いであるからだ。 ベネズエラでも、メジャーやマイナーでプレーしている選手の大多数が帰国して故郷のチームに参加している。日本でプレー中のカブレラ(西武)やぺタジーニ(ヤクルト)らも、当然の如くシーズンが終了するとベネズエラに飛んで帰って翌日からユニフォームを着る。 ベネズエラのウインター・リーグ球団は、首都カラカスに二球団あり、あと四球団は地方の都市に点在している。この四球団は、ときには六球団に増える年もある。 最も人気があるのは「カラカス・レオネス」で、これを追っているのが「ララ・カルへナルス」。 この両軍が試合をすると、約四万人収容のカラカス球場は超満員となる。イニングごとにライオンの咆哮が響き渡り、これに呼応して歓声が夜空にこだまする。 味方チームが得点しようものならウエーブが数周し、紙コップごと投げ上げたビールがシャワーとなって降る。 終盤は一球ごとに椅子の上に立って踊りだす人の波…これが熱帯ベネズエラのプロだ。しかも選手のレベルは高い。 [写真はスタンドで応援する熱狂的ファン] (「損保のなかま」2001年9月1日号より転載) |
|
|
初めてベネズエラの高校野球を見たのは、十年前の九一年一月だった。 日本のプロ野球(阪急など)で十二年間プレーして、帰国後も巨人軍のスカウトをしながら、ウインター・リーグチームのコーチをしていたR・マルカーノ氏が亡くなったと知り、墓参りをかねて野球事情を取材に出かけたときだ。十二年間日本で育ったマルカーノの長男アントニオ君が、ちょうど高校生で、練習や試合に案内してくれた。(写真)
八歳からのプレ・リトルで野球を身に付けた児童たちは、十〜十二歳でリトルリーグ、十三〜十五歳がシニアリトル、十六〜十七歳ではシニアロースターでプレーする。 この十六〜十七歳組がちょうど高校野球にあたる。日本の二・四倍もある広大な太陽直下の国は、山と川と湖、そしてカリブ海に面した南米大陸の北の玄関といった、いくつもの姿を持っていて、高校野球も幾つかの地域ごとに組織化されている。 そして日本のように、年一回全国大会が開かれ、夏の世界大会にも出場している。西武に在籍する台湾の許銘傑投手が台湾代表として高校生世界大会のベネズエラ戦に投げたのを見たことがあるが、そのときはやられていた。それほどベネズエラは強い。 同時に軍の学校(兵学校)チームも強く、高校生ながらセミプロチームとの練習試合をしているほどだ。 これら高校生に大リーグのスカウトが常に密着し、可能性ありと見るやユニフォームを贈っている。 今年、日本で打ちまくっているカブレラ(西武)などベネズエラ出身の選手たちも高校時代から注目されていた連中だ。 (「損保のなかま」2001年8月1日号より転載) |
|
|
メキシコ・シティというと世界中でも有名なほど、スモッグの濃い大都会だ。亜熱帯に位置するが標高一千メートル以上のせいで年中快適だ。それだけにスポーツは盛んで、米大陸でも珍しく野球とサッカーが共栄している。 サッカーはW杯大会を開催したほど盛んだが、野球も今年、大リーグが開幕戦を行ったくらい浸透している。野球が盛んな中南米諸国にあっても、3Aクラスのリーグを持つのはメキシコだけだ。
メキシカンリーグは、北部に六球団、中・南部に各五球団の合計十六チーム。三月十九日から八月十日の期間に百二十二試合のリーグ戦を行う。続けて上位チームによって準決勝、決勝リーグ戦が行われ、最後は九月初めに七回戦のシリーズが行われる。 以前に来日したことのあるメキシコ・タイガースなどが強豪で、日本でプレーしている外国人にもときどき出身選手がいる。 取材に訪れたところ、試合開始後に監督から「ベンチに入ってもいいよ」「ゲームが動いたらグランドに出て写真を撮れ」と招かれた。試合中何人ものカメラマンがホームベース近くにまで出て撮影している、のんきなリーグだ。 年俸二万ドル内外の選手が、米のマイナー、日本、韓国、台湾、オーストラリアなどを働き場所にしてプレーしている。 ウインターリーグは八球団で、地元出身の若手大リーガーや、夏場のマイナー組がシーズン五千〜一万ドルで働いている。一年中プロ野球が行われている野球大国だ。 (「損保のなかま」2001年7月1日号より転載) |
|
|
大リーグの今年の開幕登録者、1200のうち、なんと中南米出身者が257人もいた。その半数近くがドミニカ共和国籍の選手で、あのS・ソーサや二年連続サイヤング賞を受けたP・マルティネスなどである。
大リーガーの約10%の118人のドミニカンは、まさに「カリブの嵐」を巻き起こしている。 このようにドミニカ出身選手が増加したのには、いくつか理由がある。 (1)スポーツといえば野球で幼児のときからなじんでいる。 (2)貧しい国だけに、野球による夢だけが貧困脱出の道だから懸命になる。 (3)体が柔らかくバネがある。 (4)大リーグが積極的に野球学校を作って選手育成をしている、など。 この中でも特に、約25年ほど前にブルージェイズがドミニカでの選手集めに成功して以来、4番目に挙げた野球学校での選手育成の活発化が、多くの大リーガーを生むことになった。 野球学校は大リーグ30球団がすべて、規模の差はあるが開設している。このほか日本の広島カープも豪華な施設をもっている。 17歳になると入学することが出来る。全球団のスカウトが助手を使って国中を走り回って選手を見て歩く。週1回地域ごとに30〜40名を集めてテスト(60ヤード走・遠投・キャッチボールが主)を行い、合格すると学校に送って本格テスト(1日〜1ヶ月まで可能性のある限り続ける)して採否を決める。テストに合格すると正式契約し、1万ドル程度の契約金を受け取って入学する。この日からプロになるのだ。3年間在学でき、その間にアメリカに渡れるかクビになるかである。こうして大リーガーが続々と作られている。(写真はドミニカの野球学校) (「損保のなかま」2001年6月1日号より転載) |
|
|
「規則は変わらないが解釈が変わる」という、まことに不可思議なことが始まっている。
プロ野球が今季から採用している、新しいストライクゾーンのことだ。 ルールブックでは「乳部(肩の上部からズボンの上部の中間点)からひざ頭の下まで」をストライクゾーンとしているが、このところの大リーグは、腰のベルト付近がストライクの上限となって
そこで今季から、大リーグの審判部では、本来のストライクゾーンに戻そうと決めた。 さあ、こうなると動揺するのが日本のプロ野球界だ。 「日本も高めを取るように修正するのか」とキャンプ中から監督、コーチ達が騒いだ。 審判員たちは「もともと日本は大リーグに比較して高めを取っていた。だから規則が変わらない以上、以前と同じでいきます」と、一貫して答え、昨年と変わらないゾーンでの判定を強調している。 しかし、「大リーグがボール二・五個分(約十七センチ)も高めをストライクにすれば、自然と日本も高めゾーンになるはず」と、監督たちは目を光らせている。すでに高めをストライクに取り始めたとの声もある。 もし高めがストライクと判定されれば、トラブルが増えるはずだし、バッターは打撃フォームを変える必要もある。 「トラブルが増えるのは困るが、審判員によって高低差が出るとこれも大変だ」と連盟などの関係者は、この不可思議な、規則を離れて一人歩きしているストライクゾーンへの取り組みに悩んでおり、公式戦の進行を別の角度から見つめている。 (「損保のなかま」2001年5月1日号より転載) |
|
|
春の選抜高校野球の季節になった。今年は久々に選抜らしい推薦校が2校出場することになり、おおいに盛り上がりそうだ。
「甲子園は高校野球ならではの〈成果〉を競う場だ」とよくいわれる。予選勝ち抜き方式の夏と違い、春の選抜は本来、野球が強いだけでなく、高校生として
ところが最近は、秋の地区大会で好成績を上げた学校が「自動的に」出場するようになっていた。「これでは選抜の意義も特色もない」と苦々しげにいう人たちは多かった。いっこうに改善されずにきたが、21世紀を迎えたのを機に〈21世紀枠〉ができた。 もっとも、いかに選抜するといっても硬球を使用するので、あまりにも技量が劣っては危険である。そこを加味して秋の県大会ベスト8以上の中から選抜することになった。こうして選ばれたのが安積高校(福島県)と宜野座高校(沖縄)の2校であった。 沖縄県の北部に位置する宜野座村にある宜野座高校は、生徒数430人、選抜に出場できる一、二年生は300人足らずという小規模の高校だ。しかし、地元密着型で、宜野座村と金武(きん)町の生徒がほとんどで、名護市と中部から数名ずつ入学している程度だ。「少年野球から盛んで、部員34名、マネージャー2名も熱心ですよ」(宮里淳部長)。 狭い運動場をラグビー、サッカーなどと共同使用しながら、自立、自律をモットーにしている野球部だ。そして今回、地元勢がほとんどというこのチームに陽が当たることになった。 「出る以上は一勝したい」を合言葉に、強豪、名門校にぶつかるのを楽しみにしているという。興味深い新選抜だ。 (「損保のなかま」2001年4月1日号より転載) |
▲「ここだけの話」トップへ |
※機関紙「損保のなかま」伴編集長のご厚意により転載が許可されました。毎月更新。感想は掲示板にお願いします。(首都圏サタデーリーグ会長 臼井 淳一) |