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〈24〉どうなる?日本プロ野球界の将来

 今年のプロ野球界は、二リーグ分裂以来の激動を予感させている。
 昨年末に突如持ち上がった横浜ベイスターズの経営移転問題。

 マルハからニッポン放送への移転が白紙撤回され、TBSで落着したと思ったら、今度は福岡ダイエーホークスの母体企業の揺らぎである。「黒字球団であり、巨人に次ぐ人気もあるのだから存続を」の声が通ったが、果して安泰かどうか。まず今シーズンが終われば、この二球団の主力選手は浮き足だつのではあるまいか。

 他にも日本一になったヤクルトはエース石井一久がメジャー入りしたし、スターが次々に出ていくオリックスも田口壮が渡米して、球団の空洞化が見られる。

 こうなってくると当然出てくるのが一リーグ制、あるいはセ・パ交流試合などで盛り上げを狙おう、というプランである。
 これまで交流試合の案は「人気のセ」にあやかりたいパが、何とかして巨人や阪神と公式戦をやって売り上げを伸ばしたい、ということだった。が、いまはもっと切実で、プロ存続をかけたアイデアとして話が持ち出されている。
 巨人・渡辺恒雄オーナーは「天皇杯大会を作って交流すればいい」といってい
るが…。

 当面の話題としては、五球団で交代した監督に注目が集まっている。なかでもマスコミの関心を独り占めしているのが阪神・星野仙一監督である。セは「阪神が強くなれば(四年連続最下位)人気がでる」とあって、星野人気を歓迎しているが、それだけでプロの人気回復となるかどうか。

 新人獲得に大金がかかり過ぎ、FAにも大金が動き、選手も二極化しつつある。
 プロ野球の先行きを憂うのは私だけではないはずだ。

【写真:次々とスター選手が大リーグへ流出する…】

(「損保のなかま」2002年3月1日号より転載)


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〈23〉プロ球団誕生へ、意気上がる中国

 台湾プロ野球の興農ブルズの前監督王俊郎が「大陸に渡って野球指導をする」という話が伝わってきた。台湾の人たちは中国を大陸と表現するが、すでに多くの球界関係者たちが中国各地で指導を行なっている。
 このような活発な交流はあっても、昨年十一月に台湾で開催されたW杯野球大会に、中国は参加しなかった。しかし、二〇〇八年の北京五輪を控えていま、中国では「野球を強化しなくてはならない」との声が日を追って大きくなりつつある。

 「北京五輪では、何としても決勝トーナメント進出を」を合言葉に、熱を入れている。その中心的存在が、大都市各地にある体育学院だ。
 すでに、二十年以上も前から、北京、天津、上海、四川などの体育学院では棒球指導を専門に行なっていた。
 これらの学校ではキューバ、日本、台湾などからコーチを招き、底辺の拡大と選手の育成に力を注いできた。現在、中国ナショナルチームの監督宋平山は、北京体育学院の棒球主教練であり、八六年二月には米フロリダ州ベロビーチのドジャースキャンプに留学した人物である。

 その宋監督は以前に「二〇〇二年には中国でもプロリーグをスタートさせたい。そうすれば北京五輪には間に合う」と述べていた。しかし、残念ながら洪水などの思わぬ事情でグランドが作れず、計画は遅れている。が、北京、上海、天津、四川、昆明などに選手は相当育っている。
 「ごく近い将来、六〜八球団のプロリーグが出来るでしょう。選手は体も大きいし、非常に有望ですよ」。長期間中国で指導している台湾のプロOBたちの言葉である。

 中国の野球から目を離すことはできなくなった。いよいよアジアの野球が活発になりそうだ。

【写真:右端が宋監督。ユニフォームは日本のプロ球団から贈られたものを使っている。】

(「損保のなかま」2002年2月1日号より転載)


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〈22〉台湾野球復興を願うアジアの大砲

 台湾で行なわれた野球W杯は大盛況のうちに終わった。ことに予選ながら台湾―米国戦は2万3千人の観客が詰めかけて、台湾野球史上最高の観衆となった。

 台湾にプロ野球が誕生したのは90年。経済の急成長でふところは豊かになったが、礼儀や文化度が低いのを何とかして向上させたいとする人たちが「スポーツ、ことに野球で青少年育成を」ということでプロがスタートした。

 当初は4球団のミニリーグであった。
 が、またたく間に成長して6球団に増え、赤字も解消するほどになった。「アジアの大砲」と呼ばれた呂明賜選手が巨人軍を退団し、失意のうちに台湾球界に復帰したのは、ちょうどその頃だ。
 台湾でアマ時代に所属したチームに入ることを、ルールを曲げてまで強引に押し通したために、一時は「台湾の江川事件」などといわれた。呂の復帰の頃は連日球場は満員になるほどのプロ野球ブームであった。

 97年、ついにブームに目をつけて新リーグができ、旧リーグから大量に選手を引き抜いた。
 その中に呂明賜もいた。すでに大砲は過去のことで、好調なら三割を打つアベレージヒッターになっていたが、人気は抜群であった。
 しかし、狭い台湾に2つのリーグは多すぎた。加えて野球賭博関連の事件などもあり、プロ野球ブームは急激に冷えてしまった。

 99年に引退した呂は、雷光球団のコーチとなって、いま懸命に若手育成と人気回復に努めている。
 そんな呂だけに、今回のW杯の盛況には、「これでまた野球熱に火がつくかもしれない」と大変な喜びようであった。
 いま、台湾は2リーグ8球団が必死に頑張って野球復興をめざしている。

【写真は台湾球界で活躍していた頃の呂選手】

(「損保のなかま」2002年1月1日号より転載)


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〈21〉往年の名選手達が
プロ野球マスターズ・リーグが開幕

 よく「あの人は今」とオールドプレーヤーの消息を取り上げたテレビ番組などがある。
 プロ野球界には、伝説に近いような名プレーヤー、豪球投手たちの逸話が、ファンの間ではいつまでも語られており、そこで「あの人は…」となるのであろう。

 11月1日から、そんなオールドプレーヤーたちによるプロ野球リーグ戦が始まっている。その名も「マスターズ・リーグ」、5球団による全四十試合のリーグ戦だ。

 各チームの監督と主なメンバーは次のとおり。
 ★札幌アンビシャス 山内一弘(監督)、佐藤道郎、佐藤義則、新浦寿夫、西本聖、土井正三、柴田勲、中畑清。
 ★東京ドリームズ 土橋正幸(監督)、江夏豊、尾崎幸雄、村田兆治、木田勇、大矢明彦、駒田徳弘、張本勲。
 ★名古屋80ディザーズ 近藤貞雄(監督)、郭源治、与田剛、牛島和彦、小松辰雄、木俣達彦、宇野勝、田尾安志、中利夫、高木守道。
 ★大阪ロマンズ 吉田義男(監督)、太田幸司、加藤哲郎、山本和行、若生智男、田淵幸一、中村勝広、石嶺和彦、山本一義、川藤幸三。
 ★福岡ドンタクズ 稲尾和久(監督)、安仁屋宗八、大野豊、外木場義郎、池永正明、香川伸行、達川光男、尾崎将司、高橋慶彦。

 OBクラブ理事長の大沢啓二氏がリーグの会長になり、野球の底辺拡大と地域社会への貢献を目的としてこのリーグができた。何といっても往年の名選手のプレーが今一度見られることや、「消えた名投手」池永の復活、ゴルフに転じたジャンボ尾崎の出場など見どころは多い。

【写真】大沢会長(左から3人目)を中心に並んだ5人の監督

(「損保のなかま」2001年12月1日号より転載)


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〈20〉選手の海外流出に悩む韓国球界

 プロ野球ができて20年を経た韓国は、1リーグ8球団で年を追って充実したかたちになっている。
 ところが、実力派のスター選手は、こぞってメジャーリーグ、あるいは日本のプロ入りを希望している。高額年俸を要求して「出せないなら海外放出の自由を」と申し出る選手が相次ぎ、ついにKBO(韓国野球委員会)は外国チーム入り、国内チーム入りという2段構えのFA制度を設けて、選手の海外流出にルールを作った。
99年54ホーマーを放った李選手 選手が自分の希望する海外のチームに入るには7年間の規定試合数の出場が必要になったのである。この権利を駆使して巨人に鄭a哲、鄭a台の二人の投手が。オリックスに具臺晟投手が入団した。
 一方メジャーには、中日へ金銭トレードで移籍していた李尚勲(サムソン)がRソックスに移っていった。メジャーには現在四人がプレーしているが、サムソン以外は高校または大学からスカウトされて渡って行っている。
 今年もFA権を得たホームラン打者の李承Yとリリーフ投手の投手の陳弼重がメジャーリーグ入りか日本入りを目指している。
韓国の選手がメジャーや日本でプレーしたがるのは、何といっても金銭的な魅力があるからである。今年度から韓国でも、選手の流出をくい止めるために新人の契約金をドラフト1位で3000万円〜5000万円に大幅アップし、スター選手の年俸も5000万〜6000万円にと、一気に3倍にした。
 しかしこれでも日本でプレーすれば、巨人の鄭a台は年俸1億円、鄭a哲も7500万円、大学から入った趙成aは8年契約で今年は4500万円と高い。オリックスの具も一億円である。米国にスカウトされた高卒選手でも最高220万ドルから安くて80万ドル。これが韓国プロの悩みの種になっている。
【写真は99年に54ホーマーを放った李選手】

(「損保のなかま」2001年11月1日号より転載)


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〈19〉キューバ野球、強さの秘密を見た…

 シドニーオリンピックで常勝キューバが米国に敗れて金を逃した。これが大ショックで、今年11月の台北市でのW杯大会で雪辱を、と目下合宿しての猛練習を行っている。
 プロのないキューバでは、10月から翌年4月にかけて行われるナショナル・リーグ戦が最大の行事だ。その選手の中から国家代表候補選手を35人選出して、合宿中なのである。
中日・星野監督
ESPAでのトレーニング風景
 首都ハバナにあるラテン・アメリカン球場を使い、郊外のマリーナ・へミングウエイの奥にあるホテル「老人と海」に合宿しての特訓だ。
 おなじみのO・リナレス三塁手やA・パチェーコ二塁手、A・キンデラン一塁手も、もちろん入っている。この35人の中から24人の代表が選ばれる。
 これがキューバ野球最高選手で、多くの野球少年が目標とするところだ。そんな少年たちの夢を、国が積極的に手を添えて選手育成をしている機関が「スポーツ学校」だ。
 スポーツ学校は全土にあり、一般の小学校入学と同じ6歳からスタートする。ハバナ市だけで十五校あり1万3千人の児童が14歳まで一貫教育を受けている。
 ここは一般の授業とスポーツ教育を半々に行う。入学するには体力と運動能力テストがある。しかも在学中に特に優れていれば、より専門的な「FIDE」という学校へ送られる。そこでまた優秀であれば進学予備校に入ることになる。
 こうしてセレクトされる途中で、コーチが適性を見て野球か陸上かなど、専攻を決める。
 ここまでくると「ESPA」という15〜18歳の少年たちを対象にした学校に進学できる。
 大学に入り「スポーツタレント」と呼ばれるスター選手になれるのも目前だ。 こういった仕組みがキューバ野球のの強さをつくっている。

(「損保のなかま」2001年10月1日号より転載)


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※機関紙「損保のなかま」伴編集長のご厚意により転載が許可されました。毎月更新。感想は掲示板にお願いします。(首都圏サタデーリーグ会長 臼井 淳一)