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他球団ファンの場合、子どもも、親と同一球団のファンになるケースが少なく、巨人ファンにもならないという特徴がある。 何故だろうか。巨人ファンは幼年期・児童期に巨人ファンになるが、他球団ファンは少年期にファンになる。すなわち、理性の介在がより比重を増した年齢になってから支持球団を選んでいる。つまり、親が支持する球団が社会的に多数派ではないことの意味を理解できる年代での選択なのである。だから、親と同じ球団のファンになることを躊躇し、葛藤を経たあげく、巨人と親の支持球団を除いた範囲で選択する。
こうした学習が可能になるのは、少年期以降だ。何の疑いもなく「気がついたときにはすでに巨人ファン」だった巨人ファンと、さまざまな葛藤を経ながらどこかの球団に辿り着く他球団ファンとは、まさに「生まれも育ちも」違う。 ドイツの社会学者ノイマンは『沈黙の螺旋理論』で「社会的多数派は声高になり、少数派は沈黙を余儀なくされる」と指摘する。 「調査」では「家庭内でプロ野球談義がありますか」と聞いた。「ある」は巨人ファンが96%、他球団ファンが77%である。 巨人ファンは、家庭内に凝集し、巨人軍は共通の話題だ。コミュニケーションは相互が同類性を持つとき一層効果的になる。似通った相手との相互作用ほど気持ちのいいものはない。しかも多数派に所属しているという自覚は安心感と強大感をもたらす。後述するが、巨人ファンの家庭は極めて団結力に富んでいる。 しかし、ここに落とし穴が生まれる。多数派同士の気持ちいい交流では、少数派の論理に触れる必要がない。だから、巨人ファンは、主としてアンチ巨人ファンから提出されるプロ野球界の仕組み批判論(ドラフト、FA制度等)等となかなか有効にたたかえないのである。 (「損保のなかま」2002年11月1日号より転載) |