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 ■17…巨人中心主義というけれど…
   巨人ファンと他球団ファンのすれ違い

阪神の大ブレークは巨人中心主義打破への序幕となるか?
 巨人ファンのプロ野球界の捉え方は、スポーツの世界としてではなく、現代社会そのものなのである。
 アンチ巨人ファンは「巨人中心主義」と批判するが、さまざまな業界にも中心的大企業が存在しているではないか。企業努力によって競争相手に差をつけることは許されているのだ、金力や権力によって政治や社会的ルールが歪曲されているではないか。それが社会と言うものではないか。巨人中心主義といわれる秩序・仕組みは結局はそういった社会秩序の反映であるのだ。
 巨人ファンはこのように考える。そうした現状肯定的な理解の仕方で、はじめて巨人ファンの認知不協和は解消できるのである。
 「戦後日本で、プロ野球が確固たる基盤を築きえたのは、プロ野球がゲームそのものとしてだけでなく、それ以外のものとしても多様に理解され得るような可能性を持っていたせいだろう。プロ野球は『理解の仕方』が技術の次元におけるものに限られず、ゲームを暗喩として解釈することを許すものなのである。野球選手の人生は、しばしば会社における自分の立場と類似したものとして報道され、理解された」(松原隆一郎、「プロ野球からJリーグへ」、新曜社)。
 巨人ファンがホンネのところで、現在の巨人中心主義に対する批判、すなわち「ダーティ・巨人」を受け入れていないというデータがある。
 「調査」では、各球団のイメージを「正直さ」「キレイ」「謙虚」などにわけ、それぞれ五段階で答えてもらった。「正直さ」では(1)正直(2)やや正直(3)普通(4)やや不正直(5)不正直。「キレイ」では(1)キレイ(2)ややキレイ(3)普通(4)やや汚い(5)汚い。「謙虚」では(1)謙虚(2)やや謙虚(3)普通(4)やや傲慢(5)傲慢。である。
 それによると、他球団ファンによる巨人のイメージは、「不正直」「汚い」「傲慢」などに重点がある。前記で言えば(4)や(5)に回答が集中している。ところが巨人ファンはどのイメージにおいても回答はほとんど「普通」(3)に集中している。
 この巨人ファンの回答結果を、%を縦軸に、五段階を横軸にしたグラフで表すと、真ん中=普通を頂点とする富士山型の正規分布曲線となる。
 すなわち、巨人ファンのホンネは他球団ファンが持つような批判視点をまったく意に介していない、つまり、かみ合っていないということなのである。

(「損保のなかま」2003年8月1日号より転載)


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