5月の連休明けに神奈川県厚木市・七沢温泉に行ってきました。まったくの偶然ですが、泊った旅館(http://www2.mnx.jp/~jsm3382/)が小林多喜二という作家が1931年に1カ月にわたり逗留していたことが、3年前に判明した旅館でした。
小林多喜二が逗留した「離れ家」が保存されています。
「作家・小林多喜二」のプロフィールを紹介しましょう。
1903年 秋田県生まれ。
1924年 北海道拓殖銀行勤務。
1928年 小説家としてデビュー。代表作として「蟹工船」「1928年3月15日」など多数の著作。 1933年2月20日 特高警察に逮捕され、築地警察署でその日のうちに拷問で死去。享年29才4カ月。
わたしは、若いころ「蟹工船」という小説を読みました。また、テレビで、映画「蟹工船」を20数年前にみた記憶があります。
皆さん。なぜこの作家が29才の若さで「拷問で殺されなければ」いけなかったのでしょうか。それは「治安維持法」という法律の名の元に、「資金援助をしてはいけない政党」に援助したという理由です。
本当の理由は、この作家の小説が、多くの人に読まれることが「時の権力者」にとって、なによりも怖かったのではないでしょうか。
今から約70年前の出来事です。念のために徳川時代ではありません。
この時代、小林多喜二の出す本はすべて検閲により「伏字」が多く、それでも出版すると1万5千部〜3万部も読まれたそうです。
現在でも岩波文庫が置いてある本屋さんでは「蟹工船」などが購入できます。
もうひとつ、びっくりしたことには、この旅館に全国から「作家・小林多喜を慕って」毎週のように訪れる人たちがいます。8冊の「ゲストブック」には、熱い、熱い感想が書かれておりました。
わたしも毎週のように「熱い、熱い野球の審判」をしていますが、もしも、この時代に生きていたら、この作家のような「熱い信念」をもって生きられるのか「疑問」を感じました。
と、同時に、今、わたしにできることは「治安維持法」などという法律を絶対に復活させてはいけないということです。
油断していますと「歴史は悪いことを2度も3度も繰り返す」と思います。
そんなことを感じた久しぶりの小旅行でした。
下記の歌は、この旅館で小林多喜二が口ずさんでいたブラームス組曲の一節「折ればよかった」です。更新者・金光さんが楽譜から音楽(このページのバックグラウンドの曲)にしてくれました。
「折ればよかった」 ブラームス作曲 高野辰之 訳
折らずに置いてきた 山陰の小百合
人が見つけたら 手を出すだろう
風がなぶったらなら 露こぼそものを
折ればよかった えんりょが過ぎた
折ればよかった えんりょが過ぎた
《小林多喜二がこの時期に恋しい女(ひと)を断念して、口ずさんだともいわれています》。
あぁ。2日間留守にしただけでメールが一杯たまっていました。
「2日間留守にしただけでお金が一杯たまっていました」…(長者番付より)
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