作・臼井 淳一

  [13]謝ること・逃げること
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 最近の人をみていますと「謝ること・逃げること」がとてもへたくそに思えます。何故なのでしょうか。

 わたしは子どものころ「いたずら淳坊・いたずら淳チャン」といわれていました。けれど「ガキ大将」にはなれませんでした。ガキ大将になるにはもっと優秀でなければなれませんでした。

 いたずらの中で「学ぶ」ことはたくさんありました。それは「いたずらの限界」「いたずらの基準」「いたずらの約束事」です。そして「謝ること・逃げること」の大切さを学びました。

 実は、これが社会人になりましてずいぶん「役」に立ちました。
 わたしも若いころは「お酒の上」の失敗談が多くあります。が、運良く「警察沙汰」にはなりませんでした。それは「謝る」場面は徹底的に謝る。「逃げる」
場面はぐずぐずしないでサァ―と消えたからです。
 
 また、最近「キレル」とよくいいますが、わたしは「キレル」ということは「命」との引き替えだと教わりました。命の「尊さ」「恐さ」もいたずらから学びました。
 キレル前に「謝ること・逃げること」も必要なのではないでしょうか。

 よくつまらないことで「警察沙汰」にする人がいます。いわゆる「正義感」の強い人です。今の時代「正義」を振りかざしては生きて行けません。

 わたしは「正義」は心の中にしまっておいて、行使する時は「場面」をしっかりと把握しておき、必ず「逃げ道・謝る道」をつくっておく、そういう正義を行使する生き方をしていきたいと思います。

 ここで一番いいたいことは、わたしの血液型は「いいかげんなO型」ですが、実はO型人間が、社会への「適性能力」が一番「高い」ということです。と同時に「思いこみ」も一番「高い」ということです。
 ということは「血液型」では人間は判断できないという結論です。

 ダラダラとこの連載も永くなりましたので、ここが潮時と考え、辛抱して読んでくださいました皆様には、謝って・逃げることにいたします。
 と深く思いましたが…まだ「つづき」を書くことにしました。

「謝るのも人生 逃げるのも人生 書くことも人生」…(人生劇場・尾崎士郎)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-senzenkayou/jinseigekijou.htm

(2003年8月1日)


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