(11)まぁ急ぐ旅ではないので
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 あけましておめでとうございます。
 今年も月に2回の作文を皆様にお送りいたします。ご迷惑だとは思いますがよろしくお願いいたします。

 瀬戸内海の島巡りをした時のお話です。
「船頭さん。あそこの島に舟でいけますか」
「あぁ。いいよ」
 と、簡単に引き受けてくれました。この島の民宿に一泊して、翌朝、民宿のご主人に次の島の案内をしていただきました。瀬戸内海の「島巡り」の始まりであります。

 一週間もあちこちの島を観ていますと、瀬戸内に多くの島があるのには驚きました。島の人の話によりますと、無人島も含めて3千島もあるといいます。

 せっかく東京からきたのですから、まぁ急ぐ旅ではないので、あと一週間「島巡り」をすることになりました。

 わたしは太平洋が見えるところで育ちましたので、島と言えば「江ノ島」ぐらいで、天気の良い日には「大島」が見えたぐらいです。

 瀬戸内の島々を14島まで観ました。2週間も滞在していましたら、急に東京が恋しくなりました。そこで民宿の人に「本州へ帰りたいのですが」とお願いしましたら。なんと。なんと。

「本州ってどこですか。分かりませんから昨日泊った島まで送っていきますよ」。
 まぁ、急ぐ旅ではないからと納得しました。

 そして一昨日泊った島で「本州へ帰りたいのですが」と言いますと。また、また。
「本州ってどこですか。分かりませんからお客様が来た島まで送っていきますよ」。

 まぁ急ぐ旅ではないで、同じ島を二度観ることにより新たに発見があるかも知れないと思いました。

 そんなこんなの繰り返しで、4週間前に泊まった民宿にやっとたどり着きました。まぁ急ぐ旅ではありませんが、瀬戸内に1カ月も滞在してしまいました。

 やれやれこれでやっと東京に帰れる目安がつきそうです。この島ならどこか本州の新幹線か飛行場のある近くに帰れるでしょう。早速4週間前に親切していただいた民宿のご主人にお願いしました。

「東京に帰りたいのです。本州の電車か飛行場の近い所へ舟をだしてください」。

 民宿のご主人はわたしの顔をじっーと見つめて冷たく言いました。
「瀬戸内は海賊の島です。本州から来た人は返しません。特に貴方は江戸から来た人でしょう。徳川家康は我々の敵です。もう貴方は瀬戸内から出しません」

「違います。違います。徳川家康とは縁も所縁(ゆかり)もありません。どちらかといいますと巴御前が遠い祖先だと聞いています」

「なに巴御前。源氏方ではないか。我々の祖先は源氏にもいじめられたのだ。今こそ仇を討ってやるぞー。おっかぁー、まき割りもってこい」

「ギャーァー。そんなバカな」
「お父さん。お父さん。なに寝ぼけているの」

 ここで目が覚めました。こんな夢を見るほどわたしは旅に出たいのです。なにしろ昨年は一泊2日の旅にしかいけませんでした。

 今年の2月には九州・長崎県の友人宅に行く「一大決心」をしました。何しろ西は兵庫県までしか行ったことがありません。九州はわたしにとっては異国です。

 異国で「異国の丘」を思い出しました。よく「思い出のメロディー」で聞いたことがあります。1948年(昭和23年)に作られた詩です。シベリアに抑留された当時の状況を詩にしたのだと覚えています。

 「異国の丘」
 今日も暮れゆく 異国の丘に
 友よ辛かろ 切なかろ
 我慢だ待っていろ 嵐が過ぎりゃ
 帰る日も来る 春も来る

 太平洋戦争が終わったのが1945年ですので、戦後の混乱期の人々の心を打つ詩だったのではないでしょうか。
 それでは「平成・過疎地の丘」を

 今日も暮れゆく 過疎地の丘に
 誰がしたのか この日本
 老いも若きも 都会になびく
 帰る所も 春もなく

 新年早々いろいろと考えこんでしまいました。東京の人口が1千2百万人といわれています。神奈川、千葉、埼玉、茨城は東京への通勤圏です。首都圏の人口は約3千7百万人になります。日本の総人口の約30パーセントが集中しています。都市への一極集中の傾向はますます進むと思われます。

 幸いわたしの親類縁者は首都圏に住んでいますので、冠婚葬祭の交通費はかかりません。地方に親類縁者のいる方は「冠婚葬祭・交通預金」を別枠で設けていると聞きました。

 一極集中は集団就職の「あぁ上野駅」から始まりました。そして農業では暮らしが立たず、地方では暮らせない厳しい生活を強いられています。「平成・過疎地の丘」はますます広がっていきます。

 今日も暮れゆく 過疎地の丘に
 今に見ていろ ふるさとを
 老いも若きも 帰れる日まで
 そんな日本に 春がくる

 希望の持てる2007年にしたいですね。


(2007年1月1日)


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