(12)一枚の写真から
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 63年と6ヵ月前の写真が見つかりました。
 1943年(昭和18年)6月ごろ写真館で撮った写真です。母は21歳です。


写真

 この写真が見つかった時、実は3人兄弟の誰の写真か不明でした。両親は他界していますので、伯母に「鑑定」してもらいました。こんな話をしてくれました。

「この写真は間違いなく淳一です。おばあさん(伯母の母)が『長男だから記念に写真館で撮って来なさい』と言われていたのを覚えています。腰が座っていたので生後6カ月ぐらいです」

「姉さんは写真館に飾られたこともあったよ。それも私と並んで撮った写真なのに、私だけ削られていしまって。くやしいー」

 そんなこんなで、こどもの時の寝ションベンの話まで聞かされてしまいました。

 わたしはこどもの時から「母親似だ」と言われ続けてきました。今、この写真を見ますと、母の「ダンゴ鼻」とわたしの鼻が全く同じであることが改めて分かりました。

 10年ほど前にある駅前で誕生日の新聞複写を販売しているのに出会いました。わたしの昭和18年1月6日の朝日新聞の複写をA3サイズに縮小してもらいました。



「朝日新聞」昭和18年1月6日付( ↑↑ 紙面をクリックすると大きくして見れます)

  ↓ 広告のところ

 新聞の見出しは戦争一色であります。それでも広告には「柳屋ポマード」「マスターズ・クリーム」と髪の毛や肌にお洒落をする余裕があったのです。

 それから2年と7カ月後には日本は敗戦を迎えます。多くの方が亡くなり、多くの方が心と身体に深く傷つきました。そして60数年だった今でもその傷跡は癒されていない人がおります。

 最近、良い映画を2本観ました「硫黄島からの手紙」と「武士の一分」です。全く肌色の違った映画ですがいろいろ考えさせられました。

 この映画の共通点は「一市民の悲惨な戦争参加」「下級武士の生きざま」です。共に視点は底辺からそれぞれ捉えています。

「硫黄島からの手紙」では栗林中将の合理的な戦闘指揮も印象に残りましたが、それよりも二人の兵士のなんとしても国へ帰りたい心境に共感を得ました。と、同時にこのような戦争を二度と繰り返してはならないと改めて思いました。

「武士の一分」は藩主のお毒見役という映像からはじまり、こんなにも人間性を無視した「役職」は、現在でもあるのではないかとふっと思いました。毒により目が見えなくなった者にも「誇りと意地」があるのです。人間それがあるから生きて行けるのです。

 新春のある新聞対談で『アメリカは第二次大戦後「宣戦布告なし戦争」が200回に及ぶ。また、「防弾チョッキ」性能がよくなり、一命を取り留められるため、イラク戦争で手・足をなくし、頭にも傷ついた負傷兵は、戦死者の数倍になる』と。アメリカの詩人が言っていました。

 どこの国でも負傷兵の帰還は温かく迎えてくれません。それは下級武士のお毒見役と同じで「冷ややかな目」で見られるのです。

 戦争常勝国のアメリカでもブッシュ大統領への「好戦政策」にかげりが見え始めています。もうアメリカ国民は負傷兵を「冷ややかな目」で見たくないのです。

 これを書いている最中に、ブッシュ大統領はイラクへの増兵2万人を表明しました。「硫黄島からの手紙」を何百回繰り返したら気が済むのか。

 安倍首相も支持を表明しました。「日本人の一分」はどこへ去ったのか。


(2007年1月15日)


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