(22)博打でガックリだ
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 エントツ・さらば生麦より

http://www.mbua.net/usui/entotu/data/03-06.html


林立するエントツ・疾駆するトラック、吐き出る煙、 鉄板叩く音
パン食い食い出勤する若者、国道駅へ一目さんの禿げおやじ
へそまで汗垂らし働き抜くとうちゃん、長ぐつ前垂れ姿のかあちゃん
アサリむく音、ノリすくう冷たい手、戦さそのまんまの朝市風景
ふんどし一ちょの旧東海道、立ち飲み姿の工員さん、一升瓶傾けるおやじ殿
ベーゴマに興ずるガキ共、箱打ち手伝うガキ共、新聞・牛乳配達のガキ共
コロッケ食い食い平チャラな下町娘、ゆかた姿の盆踊り花笠娘
子守娘、ムキ包丁の傷イタイタシイ あの娘 この娘……


 わたしはこのような環境の中で育ちました。
 ある日、兄弟で花札遊びをしていますと。祖父がいきなり殴りかかってきました。
「ガキのくせに花札なんてとんでもねえ。博打は人間をダメにするのだ」。

 祖父は若い時は「飲む・打つ・買う」と三拍子揃った人だと聞いています。とくに丁半博打、花札博打に入れ込んでいたらしいです。両腕・背中にはビッシリと刺青をしていました。

「ジュン、さわってみろ、冷たいだろう。こんなバカなことするものではない」と言って冷たい腕を弟たちと一緒に触らされました。
 
 刺青・祖父のおかげか?わたしがいたずらをしても、近所の大人たちは「寛大」に済ませてくれました。それをいいことにいたずらが過ぎますと。

「タタッ殺してやる。このガキ」と出刃包丁を振り上げ町内中を追われました。

 祖父は若いうちに道楽をした反動なのか、75歳まで朝3時に起きて「あおやぎ貝」を加工して栃木県・宇都宮市場に卸していました。

 わたしの近所にはヤクザ(暴力団)もおりました。夏の夜など喧嘩は日常茶飯ごとでした。時には刃物が光ったりする時もありました。同級生や近所のお兄さんもヤクザになり、二十歳前に亡くなった人もおります。

 わたしも一歩間違えば、ヤクザの誘惑に負けていたかも知れません。なぜか祖父の背中をみていますと、こども心に「飲む・打つ・買う」の人生は歩んではいけないのだと思うようになりました。

 男はだれでも「博打」が好きです。昔の話ですが、わたしの知人で「福島に遊びに行く」と言って出かけました。なんと福島競馬場にいる画像がテレビに偶然に映ってしまいました。それを見ました奥様が、これもなんと、なんと翌日に家財道具をトラックで運びだし実家に帰ってしまいました。

 がらんとした部屋の中で知人と二人で唖然としてしました。新婚3カ月の夏の日の出来事でした。「今度、競馬をやったら離婚する」と言われていたらしいです。

 知人はその後再婚しました。今度は競馬公認の奥様でした。しばらくすると電話で「通帳からお金が消えている。泥棒に入られた」と言ってきました。これもなんのことはない犯人は奥様でした。

 男も女も「博打」が好きなのです。この男はダメだと思ったら見切りをつけるのも「博打」です。通帳から引き出し、泥棒が入ったことを装うのも「博打」です。もちろん博打にはイカサマがつきものです。

「丁方が足りません。さぁ、ハッタ、ハッタ。丁半同列と見ます」
「勝負。ハイ、四三(しそう)半」
 ヤクザ映画によく出てきますが、男なら誰でも一度はやってみたいですね。

 わたしは賭け事でマージャンはどうしても覚えられませんでした。最大の原因はタバコにあります。永い時間タバコの煙に耐えられない質(たち)なのです。それに頭が悪くルールを覚えられませんでした。

 若い頃の博打は人間を成長させます。真剣勝負は将来必ず役に立ちます。もう少し博打を本格的にやっていれば、わたしは大物になったのではないでしょうか。

 祖父の言うことを真面目に聞くのではなかったと悔やんでいます。

「丁方が足りません。さぁ、ハッタ、ハッタ。丁半同列と見ます」
「勝負。ハイ、四三(しそう)半」
 梅雨の季節は「清水次郎長」「国定忠治」を読みふけります。

 小澤勲先生もこんな啖呵を切っていました。
『アッサリ別れようぜ! 威勢よく別れようぜ! 男涙は禁物だ。さようなら、我が教え教わりし子どもたちよ……さようなら、おとっちゃん おっかちゃんたちよ……
さらば、京浜生麦労働者街の春よ。』


(2007年6月15日)


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