(24)しょうがないでガックリ来ないぞ
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 わたしは「しょうがない」という言葉を今までの人生の中で何回使ったのでしょうか。おそらく数え切れないほど使っています。

 けれどよーく考えて見ますと「心の中でのつぶやき」が圧倒的に多く、言葉に出したのはそれほど多くはありません。

 心の中でのつぶやきの「しょうがない」は、自分の思い通りにいかなかったことや、相手に気持ちが伝わらなかったことです。その典型が失恋ではないでしょうか。

 小学校4年生の時に失恋をしました。正確には片想いだったのかもしれません。三橋美智也「哀愁列車」という詩を何度心の中でつぶやいたでしょうか。それにしてもませていましたね。

 惚れて 惚れて 惚れていながら 行く俺に
 旅をせかせる ベルの音 つらいホームに 来は来たが
 未練心に つまずいて 落とす涙の 哀愁列車

「しょうがない」という言葉は「やりきれない」「せつない」。うまく言えませんがロマンがある言葉にもつながるのではないでしょうか。

 惚れて 惚れて 惚れていながら アメリカに
 選挙せかせる 本音がチラリ しょうがないで 来は来たが
 よせばいいのに つまずいて 落とす原爆 しょうがない

 かなり無理に替詩ですが、彼は心の中で何度も、何度もつぶやいていたのです。いや本心なのです。だから自然な形で発言したのです。問題はこの「自然な形」が恐ろしいです。

 2005年の8月15日にわたしはこんな事を書きました。
 http://www.mbua.net/usui/tamannai/tamannai-003.html

『アメリカの原爆に携わった科学者がはっきり言っています。「10万人殺すのには空爆を何回もやらなくてはならない。原爆は一回ですむ。それで戦争は終わったのだ。私は広島への原爆投下には今でも反省はしない。謝らない」と。』

 この発言も許すことはできませんが、被爆国である国の大臣がこの発言に同調して「しょうがない」では、今でもせっせと「大量殺戮化学兵器」を研究・開発しています科学者達を勇気づけてしまいます。恐ろしい「しょうがない」発言なのです。

 広島・長崎に原爆が投下されて60余年、被爆者の生存者は年々減ってきていますが、被爆2世、3世の方たちは、いつ自分を含めた子や孫たちに被爆の影響が現われるか、わたし達が考える以上に深刻な問題だと思われます。

「しょうがない」発言が、長崎・広島に原爆投下されたことが、いかに人類に与える影響が大きいか勉強するよい機会だと思います。

「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」

 この発言をしっかり覚えておきましょう。


(2007年7月15日)


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