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[6]フーちゃんのこと

 2年前に定年退職しました会社の、元同僚であるフーちゃんの「定年退職を祝う会」に行ってきました。フーちゃんとは「腐れ縁友人」であります。

 腐れ縁友人とは、「新入社員時代の共同自炊生活」「上司をだましてのずる休み」「東京オリンピックの旗泥棒」「フーちゃんの再入社の橋渡し」「漫才コンビで吉本へ売られそうになる」。と20歳前後を「又」にかけての「青春時代・性春時代」を共に過ごした親友であり、悪友でもありました。

 フーちゃんは進むべき「道」を間違ったのです。落語界に入っていましたら今頃はテレビ「笑点」のレギュラーになっていたでしょう。

 先日もフーちゃんとこんな会話をしました。
「御社の景気はどうかねー」
「なに、おんしゃ? 俺の友達が恩赦で刑期が短くなって出てくるよ」
 わたしも負けずに。
「お前は再入社だから刑期が少なく、退職金も少ないだろー」
「うーん。損者になっちまったよ。今度は入る所は刑期を永くしょう」
 さらに負けずに。
「無理、無理。どこの刑務所も満杯。刑期が悪いよ」
「仕方がない。橋の下で刑期をすごすか」
 降参いたします。

 この日、わたしはフーちゃんに無理矢理に「無言芸」をお願いしました。
 それは、アル中のお年寄りが、自動販売機に小銭を入れて、ワンカップを飲み干すまでの「無言芸」です。

 それは、それは見事でした。飲み会の席がシーンとなりました。アル中のお年寄になりきったフーちゃんに「凄み」さえ感じました。とくに小銭を入れる「手の振るえ」から、ワンカップを「愛しそうに」飲み干す場面。文字には「表現」できないほど味わいがありました。

「才能」とは自然に具わっているものだと思います。わたしも「落語の本」など読んで、フーちゃんとは「コンビ」を組み、2、3回余興で漫才をやりました。フーちゃんは何の「準備」もなくできるのです。そこにいて一言しゃべるだけで「笑い」を受けてしまうのです。

 フーちゃんは、「祝う会の席」で、わたしにこんな事をしみじみ言いました。「いやー。退職の1年半が辛かった。コンピューターの仕事もうこりごりだ」。

 わたしが経営者でしたら、フーちゃんは現場に置いておきません。営業に移籍させました。なぜでしょうか。答えは簡単です。営業マンはバカでもできるのです。フーちゃんはバカでないですからそれなりの仕事はやったと思います。

 わたしは「首都圏サタデーリーグ」の会長をやっています。たかが野球のリーグですが、運営には「人対人」のぶつかり合いが必要だと思うようになって来ました。「人対人」の関係を上手く生かすことが、どんな組織でも重要だということです。

 働くことも「人対人」の関係です。飛躍いたしますが、国策・国益の追求も「人対人」の関係です。日本国株式会社は利益を上げることが急速に「へたくそ」になりました。

 原因はいままでのような「外顔と内顔」の使い分けが、もう国際社会に通用しなくなったからです。このままでは隣国の美味しい利益も諸外国に奪われてしまいます。

「ヨン様ブーム」は、韓国が綿密に練った「国策」であると言われております。「国益」は膨大になっています。

 フーちゃんのような「無言芸」が、まだ、まだゴロゴロあるのを発見して、生かす必要がどこの「民間会社」。そして「日本国株式会社」にもあるのではないでしょうか。

(2004年12月15日)


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