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1995年1月17日は朝からテレビを見ていた記憶があります。7時ごろのテレビで神戸に大地震発生。この時、火災は発生していなかったように覚えています。その後はみるみる大火災になっていきました。 10年たった現在、1月17日は何曜日だったのか。もの凄い疑問が湧いてきました。私も女房も勤めていました。 二人でテレビを一日中見ていたのを鮮明に覚えています。ということは「日曜日」しか考えられないのです。 その「疑問」がいろいろ調べてやっと解けてきました。「1・17は火曜日」だったのです。女房は日曜の他に火曜日も休んでいたのです。わたしはこの日なぜ休みなのか、今でも分かりません。 10年前の1・17の曜日が分からなかったのです。あれほどの大震災だったのに、何人の方が亡くなられたのかも忘れているのです。 1923年9月1日の関東大震災の話は、祖母からよく聞かされました。『横浜・生麦の町から日本鋼管のエントツが「カラン、カラン」と音を立てて落ちてきた話。当時二才の母を連れて、舟で沖へ逃げ、一晩過ごした話』。本当に怖い、怖い話を何回も聞かされました。 ここで本当に日本鋼管は1923年に存在していたのかを調べてみました。 『1911年6月資本金200万円をもって日本鋼管株式會社を設立。1914年4月 営業開始』。祖母の話には整合性がありました。 余談ですが祖母は1900年生まれです。子どものころ「淳一は何年生まれか。西洋式で覚えておきなさい」とよく言われました。 たった10年前の震災の「曜日」が分からず、80数年前の怖い震災の話を覚えているのです。映像で見たり、文字を読んだりするのはとかく忘れがちになります。やはり「じかの語り」です。それも何回もの「語り」が必要なのです。 わたしも孫に語り伝えます「阪神・淡路大震災は1995年1月17日の火曜日。朝5時46分におきました」。「じいじい、ばあばあはテレビを一緒にみていました」。「火の海から、もう私を助けなくていいから逃げてください。といって何人もの人が死んでいきました」。と何回も語り聞かせようと思っています。 神戸では10年経っても完全には復興しておりません。が、とりあえずの10年です。こう考えますと大きな災害・震災に遭われた場合に、わたしたちは「とりあえず10年」を健康な身体にしておかないと生きられないということです。 働いて、働いて。たくさん給料から税金を取られました。現役の人はさらに多く取られています。2005年も新たな「税金」が発生しております。 日本政府・内閣総理大臣様にお願い申し上げます。せめて災害・震災に遭われた自国民には10年もの苦しみ、悲しみを強いらせないでください。 日本政府・内閣総理大臣様々 ひらにひらに重ねてお願い申し上げます。 うーん。この国の総理大臣に、お願い事は無理かもしれません。 「おれが・おれが詐欺」みたいな政策を続々と断行しています。 こんな総理大臣にお願い事をしますと。 「消費税上げる」と無理やりに押し付けられたりして。 「おれ・おれ詐欺」の次は「無理やり詐欺」の出現か。 だけどあきらめないぞ。内閣総理大臣殿。 |
(2005年2月1日) |