|
尼崎脱線事故の報道を毎日ように見聞きしているうちに、ふっと故郷の鶴見線を思い出しました。 インターネットで鶴見線を検索しているうちに「鶴見線の詩」に出会いました。 http://www9.plala.or.jp/tpapa/tsurumi1.html 「鶴見線の詩」撮影・高瀬克氏(転載承諾) この写真はまぎれもなくわたしの故郷、横浜・生麦、鶴見川を走る40数年前の鶴見線・車両の写真です。撮影・高瀬克様に御礼申し上げます。 40数年前、鶴見線は巷(ちまた)の噂では「いつ事故がおきでもおかしくない」と言われていました。とくに鶴見駅から出発して、国道駅から鶴見川を渡る期間は高架線で、鉄橋がないのです。時速20キロぐらいでヨタヨタと走っていました。 こどものころ鶴見川を渡る電車に乗った時「風が吹いたら川に落ちないか」という恐怖心が横切りました。それは鶴見川を走る時には急に歩くような速度になるからです。 このころ鶴見駅から出発する朝のラッシュ時の車両には座席がないのです。それと若い女性がまったくというほど乗車していないのです。京浜工業地帯で働く、2交替・3交替制勤務の男性勤労者が車両に詰め込まれていました。 少年のころ鶴見線を利用するなら「絶対に鶴見駅から東京方面に向かう会社に勤めるのだ」と心に固く誓ったことを覚えています。 念願かない国道駅から鶴見駅、そして京浜東北線、さらに山手線と、女性の多い通勤電車で1時間半もかけて、必要のないネクタイを締めて通勤したのも1年間だけでした。 2年目からは通勤地獄に耐え切れず、故郷を後にしての「東京砂漠住まい」を転々といたしました。 そして15年前に「鶴見川の源流」に近いところに永住地を発見?いたしました。わたしにとって鶴見川とはなんと縁が深い川なのでしょうか。 最近は、年に一度の夏祭りに故郷・生麦に伯父の家を訪れています。町の様子は40数年前の「活気」はありません。 それでも鶴見川をヨタヨタ走る電車をながめていますと、18才までこの町に住み、育ったことにしみじみと懐かしく感じ、そして故郷があるということに心がなごみます。 それにつけても「分刻み・秒刻み」で運行しています路線に、列車事故の絶えないのは何故か。 「営利」を追求するあまり、「その日よければすべてよし」の経営方針は、やはり「日本国政府株式会社」の指導・影響ではないでしょうか。 鶴見川をヨタヨタ走る鶴見線は、大きな事故を起こさず走りつづけています。それに40数年前に比べて、無人駅も増え、乗客も激減しています。これからは廃線の影が忍び寄るのでしょうか。 いずれにしても、年に一度の夏祭りにわたしが行かれなくなってからにしてほしいです。 「鶴見線の詩」を見させていただき、こんな歌がポロリとでました。 「若者たち」 http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-folksong/wakamonotachi.htm 参考資料・鶴見線の各駅が詳細に紹介されています(転載承諾) http://memoryofkei.net/train/jreast/tsurumiline.html このページの製作者はmemory of keiの管理人のKeiさんです。 |
(2005年5月15日) |