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[18]悲しい出来事

 一週間で悲しいできごとが2件続けておきてしまいました。

 5月25日に友人の奥様が亡くなられました。そして5月30日には元大関・貴乃花(二子山親方)が亡くなられました。くしくもともに55歳の若さでした。

 友人の奥様は、わたしのこの「作文」のファンでございました。悲しいことに高校生の一人息子さんを13年前に交通事故で亡くしております。そして奥様の死です。
 友人の心の痛みははかり知れないと思います。通夜の席ではかける言葉もございませんでした。

 故元大関・貴乃花の二人の息子さんは、私の娘、息子と同い年であります。わたしも相撲ファンで70年代には何度か国技館に行きました。もちろん貴乃花・若・貴兄弟ファンであります。
 わたしのこどもとは比較はできませんが、ともに同年代の子を持つ親として、こどもの成長に楽しい時期がありました。

 残念ながら二子山親方の業績があまり報道されず、話題が元兄弟横綱の確執ばかりがマスコミを賑わしています。もともと親族が亡くなれば「ごたごた」が起きるのは当たり前なことなのです。日本のマスコミはもっと他に報道することがあると思います。


 55歳の年齢をわたしに置きかえて振り返ってみたいと思います。やはり体力的には「ガックリ」ときました。自慢の足も、歩いておりまして時々若い女性に抜かれました。朝の1時間半の通勤が辛くなりはじめ、今だから話せますが、たいした用事もないのに、お客様の所に「直行」して、会社には12時ごろ出社しました。まぁ、何とか仕事の「帳尻」だけはあわせました。

 この頃からだと思いますが、同僚とお酒を飲んでの帰宅の電車で、座ってしまうと必ず、2つから3つ先の駅まで乗り過ごしてしまうようになりました。席が空いていても座らないようにしました。
 
 また、早朝に床で突然足がつるようになりました。初めのうちは軽くもみますと直りましたが、だんだん筋肉が固まるような痛さになって来ました。

 やはり55歳という年齢は中年齢から高年齢へと移行する過渡期ではないかと思います。やはりこの時期に病魔に侵されないようにしたいものです。

 また、真面目な人ほどこの年齢は無理をしてしまいます。無理をしないとやっていけない年齢なのです。

 大昔の人は「人生50年」といいましたが、現代では「節目」だと思います。「つづき」の人生が長くなるのではないでしょうか。

 また「厄年」はその人、その人によって違うのではないでしょうか。わたしが「60歳」が厄年と知ったのは、孫のお宮参りの時でした。

 お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(2005年6月15日)


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