小説さ 小説さ
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 遊歩道を散歩中に突然頭の上の防災行政無線から
「きょう8月15日は、終戦記念日です。先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、市民の皆様におかれましては、正午の時報を合図に一分間の黙祷を捧げられますようお願いいたします。」と流れてきました。

 と、その時、先日お会いしました女性と出会ってしまいました。修平から思い切って声をかけることにしました。

「今日は終戦記念日なのですね…」
「はぁ。わたしはまだ生まれてないのです…」
 周りでは2、3の高齢者の方が黙祷をしていました。修平も黙祷することにしました。黙祷がおわり横を見ますとまだ彼女は黙祷を続けています。

「下流の遊歩道のことですが…」
 女性は遠くを眺めるようにポツリといいました。
「わたしの父は硫黄島で戦死しました…」

 修平は立ち話では失礼かと思い、周りを見回したがベンチすらありません。ふっと川下を見ますと石段がありました。そこでまた勇気を奮って。

「あの石段の下が涼しそうなので、ご迷惑でなければお話をしませんか」
 修平の心臓は20代のころのようにドキドキと高鳴りました。

「ご迷惑だなんて。とんでもありません」

 この一言で修平は「ヤッター」と思いました。また胸の高鳴りを覚えました。65歳になりこんなに興奮するとは夢にも思いませんでした。またなぜ興奮するのかおかしくなってきました。
 石段の会話は弾みます。

「わたしは終戦の年は2歳で、この遊歩道の下流に当たります港北区に疎開していました」
「それは偶然ですね。わたしの実家は港北区のお百姓です」
「それでは川のことも遊歩道のことも知っているのですね」
「ハイ。ごめんなさい。つい言葉をかけたくなりまして」

 修平は少しあわてましたがなぜか嬉しくなりました。
「すいません。自己紹介もしないで。この先のゴルフ場の上に住んでいます巴修平と申します。妻を5年前に先ただれました…」

「こちらこそぶしつけで失礼をしました。そこの幼稚園の隣に住んでいます八木下文子と申します」
「八木下さんは土地(じ)の人ですね」
「ハイそうです。主人を10年前に亡くしまして、息子夫婦の世話になっています」

「今日は終戦記念日ですね。お父様は硫黄島で戦死ですか。わたしは映画で観ましたが悲惨でしたね。あそこまでやる必要があったのですかね…」

「ええ、わたしも観ました。あの映画で泣けて、泣けて仕方がありませんでした。父は二度も戦地に行っているのです。母の話では二度目は40歳を過ぎているので徴収礼状は来ないと思っていたそうです。父の遺骨はありません」

「わたしの母方の叔父も中国で行方不明です。12名もこどもがいるから一人ぐらいいいのでは、と言って母に大変叱られました」
「母親はお腹を痛めた子は、何人いても可愛いのです」

「わたし等の時代で戦争を少しでも語れる世代は終わりですかね」
「おっしゃるとおりですね。あと何年かすると終戦の黙祷もなくなるかも知れませんね」

「八木下さん。戦争を風化させてはいけませんね。わたしたち年代が戦争体験を父・母から直接聞くことが出来たので少しでも語り継ぐ必要がありますね」

「巴さんは真面目な方なのですね。わたしから声をかけておいてこんなこといえませんが、実はとても不安だったのです。また散歩で逢うのが怖かったのです。でもよかったわ」

 その時、修平はふっと思いました。この方も寂しかったのだ。話し相手が欲しかったのだ。それが今日8月15日の終戦記念日に訪れたのだ。お互い青春時代と子育てを終えてなんとなく脱力感に陥っているときに言葉を交わした。

 異性を異性と感じなくなる年齢かもしれないが、それはそれでいいのではないか。

 修平にとって8月15日はこれから何度訪れるか分からないが、戦争を風化させてはいけない。という考えを持ち続けることが大切だと思う。

(つづく)


(2010年8月15日・終戦記念日)


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