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遊歩道を散歩中に突然頭の上の防災行政無線から と、その時、先日お会いしました女性と出会ってしまいました。修平から思い切って声をかけることにしました。 「今日は終戦記念日なのですね…」 「下流の遊歩道のことですが…」 修平は立ち話では失礼かと思い、周りを見回したがベンチすらありません。ふっと川下を見ますと石段がありました。そこでまた勇気を奮って。 「あの石段の下が涼しそうなので、ご迷惑でなければお話をしませんか」 「ご迷惑だなんて。とんでもありません」 この一言で修平は「ヤッター」と思いました。また胸の高鳴りを覚えました。65歳になりこんなに興奮するとは夢にも思いませんでした。またなぜ興奮するのかおかしくなってきました。 「わたしは終戦の年は2歳で、この遊歩道の下流に当たります港北区に疎開していました」 修平は少しあわてましたがなぜか嬉しくなりました。 「こちらこそぶしつけで失礼をしました。そこの幼稚園の隣に住んでいます八木下文子と申します」 「今日は終戦記念日ですね。お父様は硫黄島で戦死ですか。わたしは映画で観ましたが悲惨でしたね。あそこまでやる必要があったのですかね…」 「ええ、わたしも観ました。あの映画で泣けて、泣けて仕方がありませんでした。父は二度も戦地に行っているのです。母の話では二度目は40歳を過ぎているので徴収礼状は来ないと思っていたそうです。父の遺骨はありません」 「わたしの母方の叔父も中国で行方不明です。12名もこどもがいるから一人ぐらいいいのでは、と言って母に大変叱られました」 「わたし等の時代で戦争を少しでも語れる世代は終わりですかね」 「八木下さん。戦争を風化させてはいけませんね。わたしたち年代が戦争体験を父・母から直接聞くことが出来たので少しでも語り継ぐ必要がありますね」 「巴さんは真面目な方なのですね。わたしから声をかけておいてこんなこといえませんが、実はとても不安だったのです。また散歩で逢うのが怖かったのです。でもよかったわ」 その時、修平はふっと思いました。この方も寂しかったのだ。話し相手が欲しかったのだ。それが今日8月15日の終戦記念日に訪れたのだ。お互い青春時代と子育てを終えてなんとなく脱力感に陥っているときに言葉を交わした。 異性を異性と感じなくなる年齢かもしれないが、それはそれでいいのではないか。 修平にとって8月15日はこれから何度訪れるか分からないが、戦争を風化させてはいけない。という考えを持ち続けることが大切だと思う。 (つづく) |
(2010年8月15日・終戦記念日) |