(9) |
|
11月15日はいよいよ鶴見川遊歩道の最終地点まで歩きます。今日は電車の乗り継ぎとなります。また遊歩道が途中で途切れていますので、狭い町の路地や道路を通らなければなりません。 今回は鶴見川の水源近くから河口までの約40キロを3日間に渡って歩いたことになります。 「八木下さん。ここが河口です。その先は東京湾です」
「私はここで生まれて育ったのです。祖父母の墓もすぐ近くにあります。昔と比べこどもたちが減りましたね。昔は町中こどもがあふれていました。とても活気のある町でした…」 「そうですね。逆に上流の方がこどもさんも多いいですね。工場地帯も少子化が進みましたのですね…」 「漁業では成り立たず、2世、3世も住み辛い町になりました。それにバブル期に土地を手放した方も多く、町の中は空き地や駐車場が多くなりましたね…」 「巴さんのご親戚の方はまだおられるのですか?」 「そんな気取った叔父、伯母ではないですよ。そうですね。映画『男は辛い』に出てきます。おいちゃんとおばちゃん見たいな人ですよ。私もよくふらっと寄るのですよ。『まだ生きているかい。性懲りもなく』なんていいながら…」 「うわぁ…楽しそうですね…」 「ちょっと待ってください。わたしなんて自己紹介したらいいのですか?困ってしまいますわ…次の機会にしてくださいませんか…」 修平は叔父と伯母に紹介しておけば、直ぐに親戚中に広まる事は確実であると思っていました。別に再婚のことは修平自信も考えていませんが、息子夫婦や兄弟たちに「茶のみ友だち」を認めて欲しかったのです。 「八木下さん。どうも私は性急でいけませんね…」 「いきましょう。いきましょう。私の幼馴染が寿司屋をやっているのです。美味しいですよ。何しろ江戸時代に将軍に寿司を握ったのですから…」 「それは嘘でしょう。ところでお友だちになんて紹介するの?」 「決まっているでしょう。5人目のガールフレンドです」 「おーい。こんにちは勝ちゃんいるかい。痛風は合いも変わらずかい…」 「八木下です。巴さんに連れられてここの美味しいお寿司を食べに来ました。よろしくお願いします」
11月15日 晴れ 下流の東京湾見てきました 今晩、息子から大事な相談があるといっていました。良い相談ごとならいいなぁと思っています。 息子は帰りがいつも午前様なので今日のブログには書き込めません。相談事は明日Tさんにメールを差し上げます。 山元富士子・ブログより
11月15日 晴れ 故郷の鶴見川をU子さんと 石原友二郎・ブログより 12月1日はお休みします。 |
(2010年11月15日) |