横丁の思い出 横丁の思い出


(3)横丁の思い出
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  納豆! 納豆! 納豆ー

           詞・臼井淳一  曲・募集 歌い手・募集

 1、 韓国の板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました
納豆! 納豆! 納豆ー 洋介元気かー
手紙が来てないぞー 50年も待っているのだ
大きな声が出せないので 心の中で叫びました
空はどんより曇っていたが 北朝鮮は鮮明に見えました
あの雲の向こうに 洋介はいるのだろうか
板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました

 2、 韓国の板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました
納豆! 納豆! 納豆ー 洋介元気かー
孫がいるのかー 弟たちも元気かー
大きな声が出せないので 心の中で叫びました
丘の上には人影がなく 旗と建物が鮮明に見えました
あの建物向こうに 洋介はいるのだろうか
板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました


著者は3年前に韓国側から板門店に行ってきました
 http://www.mbua.net/usui/otoko/otoko-010.html
 http://www.mbua.net/usui/otoko/otoko-011.html



 清は小学校6年生の時に下山洋介と同じ組で一緒になりました。このころからなぜか洋介と仲良くなりました。共通点は「勉強がきらいな同士」「成績が悪い同士」「先生から怒られる同士」で二人を結びつけました。

 ある日、学校が終わると洋介は突然こんなことを言いました。
「今日、本山(鶴見・総持寺)へ遊びにいかない」
「家の手伝いはいいのかい?」
「…………………」

 本山までは学校から30分以上かかります。本山の坂道で洋介は思いつめたように言いました。

「おれの家 皆で、ちょうせんへいくのだ」

 清はビックリして。
「ちょうせんって。朝鮮のことかい。お前あっちの人だったの?」
「うーん。母ちゃんの知りあいがあっちにいるみたいだ。俺は行きたくないのだ…」

【若い読者のために・1950年〜1984年にかけて、在日朝鮮人とその家族が日本から北朝鮮へ永住帰国しました】。

 清は朝鮮と聞いて、どれほど遠いところか想像がつきませんでした。なにしろ海に向かって左側は川崎の映画街へ。右側は金沢八景の海水浴に行ったことしかありません。

 深い森に囲まれた本山の鐘突き堂の前に二人は腰を降ろしました。
「洋坊は近くに親戚がいっぱいあるべー、そこにいかないの?」
「うーん。母ちゃんがダメって言うのだ……」

「それでいつ朝鮮へいくの」
「12月だ」
「エッ! あと2カ月しかないの」

 本山で遊ぶはずであった二人でしたが、鐘突き堂の前に腰かけたままじっと動きませんでした。お坊さんの5時を打つ鐘音を聞き終えて。

「じゃー、帰るか、手伝いがあるから。明日も納豆! 納豆! 納豆ーだ」


 12月の寒い日に下山一家は新潟港に旅立っていきました。清は鶴見線の国道駅まで見送りにいきました。ホームで洋介に一言いいました。

「手紙をくれたら必ず返事を書くからな 待っているよ」
「清坊のへたくそな字で手紙書けるのかよ」
 隣にいた母親が「洋介。お前の字も同じだよ。清ちゃんありがとうね」

 鶴見川からホームに吹き上げる風が冷たく、ヨタヨタと走ってくる電車はなんとなく頼りなく、清は下山一家の旅立ちに不安を感じました。

http://www9.plala.or.jp/tpapa/tsurumi1.html
「鶴見線の詩」撮影・高瀬克氏(転載承諾)

(つづく)


(2007年10月1日)


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