納豆! 納豆! 納豆ー
詞・臼井淳一 曲・募集 歌い手・募集
1、 |
韓国の板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました
納豆! 納豆! 納豆ー 洋介元気かー
手紙が来てないぞー 50年も待っているのだ
大きな声が出せないので 心の中で叫びました
空はどんより曇っていたが 北朝鮮は鮮明に見えました
あの雲の向こうに 洋介はいるのだろうか
板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました
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2、 |
韓国の板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました
納豆! 納豆! 納豆ー 洋介元気かー
孫がいるのかー 弟たちも元気かー
大きな声が出せないので 心の中で叫びました
丘の上には人影がなく 旗と建物が鮮明に見えました
あの建物向こうに 洋介はいるのだろうか
板門店で 北朝鮮へ向けて叫びました |
著者は3年前に韓国側から板門店に行ってきました
http://www.mbua.net/usui/otoko/otoko-010.html
http://www.mbua.net/usui/otoko/otoko-011.html
清は小学校6年生の時に下山洋介と同じ組で一緒になりました。このころからなぜか洋介と仲良くなりました。共通点は「勉強がきらいな同士」「成績が悪い同士」「先生から怒られる同士」で二人を結びつけました。
ある日、学校が終わると洋介は突然こんなことを言いました。
「今日、本山(鶴見・総持寺)へ遊びにいかない」
「家の手伝いはいいのかい?」
「…………………」
本山までは学校から30分以上かかります。本山の坂道で洋介は思いつめたように言いました。
「おれの家 皆で、ちょうせんへいくのだ」
清はビックリして。
「ちょうせんって。朝鮮のことかい。お前あっちの人だったの?」
「うーん。母ちゃんの知りあいがあっちにいるみたいだ。俺は行きたくないのだ…」
【若い読者のために・1950年〜1984年にかけて、在日朝鮮人とその家族が日本から北朝鮮へ永住帰国しました】。
清は朝鮮と聞いて、どれほど遠いところか想像がつきませんでした。なにしろ海に向かって左側は川崎の映画街へ。右側は金沢八景の海水浴に行ったことしかありません。
深い森に囲まれた本山の鐘突き堂の前に二人は腰を降ろしました。
「洋坊は近くに親戚がいっぱいあるべー、そこにいかないの?」
「うーん。母ちゃんがダメって言うのだ……」
「それでいつ朝鮮へいくの」
「12月だ」
「エッ! あと2カ月しかないの」
本山で遊ぶはずであった二人でしたが、鐘突き堂の前に腰かけたままじっと動きませんでした。お坊さんの5時を打つ鐘音を聞き終えて。
「じゃー、帰るか、手伝いがあるから。明日も納豆! 納豆! 納豆ーだ」
12月の寒い日に下山一家は新潟港に旅立っていきました。清は鶴見線の国道駅まで見送りにいきました。ホームで洋介に一言いいました。
「手紙をくれたら必ず返事を書くからな 待っているよ」
「清坊のへたくそな字で手紙書けるのかよ」
隣にいた母親が「洋介。お前の字も同じだよ。清ちゃんありがとうね」
鶴見川からホームに吹き上げる風が冷たく、ヨタヨタと走ってくる電車はなんとなく頼りなく、清は下山一家の旅立ちに不安を感じました。
http://www9.plala.or.jp/tpapa/tsurumi1.html
「鶴見線の詩」撮影・高瀬克氏(転載承諾)
(つづく)