(5)横丁の思い出 |
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清の家は、昔の小さな病院(診療所)を改築した家でありました。改築といってもほんの少し手を加えただけです。板の間の待合室はそのままでした。その他はすべて畳の部屋にしたみたいです。
廊下が長く、よく兄弟で走り回りました。また、清の小さい身体で天井裏から縁の下まで駆けずり回ることができました。縁の下ではさび付いた軍刀とか、ガラスの瓶とか分けのわからないものが散らかっていました。 物置には医療器具などがそのまま放置されていました。特に怖かったのは男女の裸の石灰人形でした。それも上半身だけで、顔を崩れているのです。 この物置で「紙芝居」を発見しました。内容は「勝った戦争もの」ばかりで興味を引くものはありませんでした。 ある日、物置で白い瓶をみつけ、何気なくこぼしてみると白い泡と煙が立つのです。試しに、ネズミ捕りにかかったネズミにこれをかけますと火だるまになりました。ここで初めてこれは危険な物だと分りました。今、思うには塩酸か硫酸ではなかったでしょうか。 もっと怖かったのは夜の便所でした。永い廊下の角を曲がった所に便所があるのです。ドアを開けると使用できない男性用トイレがあり、さらにドアを開けるとヒビ割れた壁の中に便所があるのです。床板がギー、ギーと鳴り、こどもの清には、まずトイレの中に落ちないことに気をつけるのです。 ウンコをいたしますと、しばらくして「ポチャー」という音がします。汲み取りがとどこおりますと、いわゆる「お釣り」がきます。あまり詳しく説明をしません。 2月の寒い夜でした。深夜にお腹が痛くなり便所に駆けつけました。ようを済ませて廊下の角の使用されていない部屋をふっと見ますと、両手をだらりと下げた手首だけが見えるではありませんか。 清は思わず「お化けが出たー」と叫びました。 家族が電気をつけて見ますと、なんのことはない正月に使用した門竹の上だけを切り取り、それに手袋をかけて干しておいたのが、暗い中で両手をだらりと下げた手首に見えたのです。 清の町では正月が近づきますと、竹の長いのを玄関の両側に2本飾りました。その取り付けは町内の鳶の人が12月の25日過ぎにやっていました。そして正月が終わるとその竹で竹馬を作り遊びました。 清の家にはびわの木が4本、柿の木が一本、イチヂクの木が一本ありました。なんと不思議なことに庭には草花が育たないのです。原因はおそらく土の中にあまりにも多くの貝殻が含まれすぎているからではないかと思われます。なにしろ庭が貝殻の捨て場になってしまったのです。 一度、朝顔とコスモスが咲きました。皆で喜び来年は倍に咲くと思っていましたが、小便のかけすぎで咲きませんでした。 清の家の前は旧東海道です。この道を横切りますと運河にぶつかり、運河に沿って海苔、貝、東京湾の魚で生計を営む家々がビッシリあります。そして運河の向こうには京浜工業地帯のエントツが何本も見えるのです。 清の行動半径は10分で行ける小学校と、自動車一台がやっと通れる横丁の細い道と、横丁にぽっかり空いた空き地で遊ぶことでした。 (つづく)
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(2007年11月1日) |