(6)横丁の思い出 |
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今から50年前には清の町にはどんなお店が軒を連ねていたのでしょうか。思い出すがまま書いてみました。
まずはアイスキャンディー屋さん、駄菓子屋さん。おっと。ここまで書いて駄菓子屋さんでの「わるさ」を思い出しました。 このころは1円単位で駄菓子を買いました。店番をしているおばあさんに10円札を渡し、5円の飴玉を買いました。お釣りを5円もらったところで。 3回目には「この手」は通用しなくなりました。美味しいラムネの想い出でした。 それでは、今は無きお店の名前を紹介しましょう。 おっと。ここでまた脱線です。清は大人になるまで自転車のことを「じでんしゃ」と発音していました。「じてんしゃ」と分ったのはつい最近のことです。東北や九州でもやはり「じてんしゃ」でしょうか。多いに疑問を感じます。「じでんしゃ」と発音している人はお知らせください。 まだ、お店はつづきます。質屋さん、時計の修理屋さん、おもちゃ屋さん、氷屋さん。 すいません。また脱線です。清の家では商売で冷凍庫がありました。氷屋さんは毎日のように氷をリヤカーで運んできます。冷凍庫の一番上に氷を入れるのです。夏には清たちは氷屋さんがくると、氷のかけらを貰うのが楽しみでした。 そうそうこんなお店もありました。餅つき屋さん、鍛冶屋さん、醤油屋さん、たばこ屋さん、乾物屋さん。おせんべい屋さん。 餅つき屋さんが繁盛したのは、家の建て前や新造船のお祝いで餅を撒く機会が多くなったからです。また、この頃だんだんと商売や仕事が忙しくなり、12月に餅つきをする暇がなくなりました。 清が歩いて10分ほどで行けるお店がこんなに沢山あったのです。思いつくままに羅列をしましたが、まだ、まだ消えてしまったお店はあるのではないでしょうか。 これらのお店は旧東海道沿いと、それに箱根駅伝で有名な国道15号線沿い。もちろん横丁にもありました。 15号線沿いのアイスキャンディー屋さんは、このお店でキャンディー1本買いますとテレビを見せてくれるのです。よく千代の山・栃錦・若乃花・鏡里・吉葉山の相撲を見ました。お小遣いがない時には、遠いところまで街頭テレビを観に行きました。 町には活気がありました。こどもは町中にあふれていました。清が小学校5年生の時には一つの教室を1年生と一緒に使用していました。 1年生と5年生の一組50人近い生徒が教室に入るのではありません。プレハブ校舎ができるまでの間、1年生が帰るのを待って清たちが教室に入るのです。 (2007年11月15日) 先日、ある方から「小説『横丁の思い出』は映画・三丁目の夕日に時代背景がよく似ていますね。『横丁の詩』の唄もとてもいいです」というメールを頂きました。 偶然に最近「三丁目の夕日」をテレビで見まして、こどもたちの服装があまりにも当時の清の服装に似ているのにはビックリしました。 電気製品が出回りはじめ、古い冷凍庫が捨てられている映像には、清の庭の片隅に捨てられた冷凍庫をふっと思い出しました。
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