(12)横丁の思い出 |
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監督・山田洋二、主演・吉永小百合の映画「母(かあ)べえ」を観て来ました。
そして今、わたしは写真のように孫娘と「爺(じじ)べえ」の幸せにひたっています。
「じじべえ きょうは しんぱんにいかないの」 そこへ突然、玄関を打ち破り特高警察が4、5人土足で上がってくる。 清の腕に「ガチャ」と手錠(本当は縄)がはめられる。(一幕終わる)映画「母(かあ)べえ」の幕開けを真似し脚色してみました。 現実にこんなことになったら。どうしょう。どうしょう。 この映画は時代背景が暗く、分りにくいと思いましたが、とんでもない勘違いをしました。それは「当たり前の幸せ」が、当たり前のように壊されて行く過程を悲しい中にも明るく描いています。暗い時代背景を感じさせない映画でした。 母親と二人の娘が、壊されていく幸せを苦にもせず、明るさを失わずたくましく生き抜いていく姿、そしてハラハラ、ドキドキの場面には思わず涙しました。 この涙を拭くにはタオルが必要でした。いや「日本手拭」が時代背景にあっているかも知れません。久しぶりにもう一度観たい映画に出会いました。 巴 清の赤ん坊の頃には「特高」「隣組」「治安維持法」「非国民」「国賊」という言葉がささやかれていたのです。これらの言葉の意味を理解できなくとも「母べえ」を観るのには何のさしつかえもありません。 吉永小百合の映画をはじめて観たのは「キューポラのある街」。昭和37年の19才の時でした。町には映画館が三館もありました。 映画や旅芝居で思い出すのは、こどもの頃には大人の背中に隠れて「タダ」で入って観てしまうのです。3回に一度は見つかってしまいますが、その時には塀をよじ登り、便所の窓から入ったものでした。 便所の窓から入る方法は、一人はお金を払って先に入り、小便専用の窓の鍵を開けるのです。これにはタイミングがいるのです。他の人がいないすきを見計らい入館するのです。正確には入館・便所になります。 なにしろ映画を観たくとも小遣いが足りないのです。現代ならばこんな悪さをしますと「学校へ通報」「警察沙汰」になりますが、この頃は、大人からの痛い、痛いゲンコツをもらい一件落着でした。 旅芝居は昭和25年ごろまで町にやってきました。空き地に芝居小屋を建て、一週間ぐらいで他へ移動していきました。出し物はヤクザものの活劇が中心でした。時々、浪花節(浪曲)などもかかりました。 よく親や祖父母からこんなことを言われました。 清は、こども心に「旅芝居に持っていかれるなら楽しいかも知れない」、「人さらいの人はこどもをどこに連れていくのか?」と考えたりしますと胸がワクワクしてきました。そして今晩の夢は「人さらい」だと決めて布団に入るのが楽しみでした。 「今晩の夢」「明日の夢」と夢の一週間を考えますと、学校の勉強どころではなくなりました。夢のつづきこのへんで。 |
(2008年2月15日) |