横丁の思い出 横丁の思い出


(15)横丁の思い出
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 1カ月に2度の「作文」を書くということを続けまして8年が経過しました。我ながらよくも続くものだと感心しています。

「継続は力なり」と言われますが、そんな「力」が私のどこにあるのか不思議でたまりません。ただ残念のことに最近は「超」がつくほど多忙になってきまして、それと「左脳」と「右脳」の回転がうまく回らず書くのに困っております。

 横丁の思い出も書きたいことが一杯あるのですが、「現地取材」に行きたくてもいかれない状況です。まぁ。言い訳はこのくらいにしまして本文に入りましょう。

 最近は救急車や消防車がサイレンを鳴らして走っているのは珍しくなくなりました。昭和30年代の清の子どもの頃は、消防車は時々見かけましたが、救急車はほとんど見かけませんでした。また、火事そのものが全くというほどありませんでした。

 横丁は家が密集していましたので火を出したら大変なことになります。普段から「火の用心」はうるさく言われていました。子どもの火遊びは近所の大人からも厳重に叱られました。

 また、12月〜4月頃までは深夜になりますと町内会で、鉄の棒を「ジュラ・ジャラ」と鳴らしながら「火のー用心ー」と大声で横丁を回っていました。この声を聞きながら眠りについたことを覚えています。



せまい横丁の家並みは消防車も入れません。
こんな横丁まだたくさん残っています。

「マッチ一本 火事の元」と言われていましたが、最近ではマッチそのものを見かけません。家庭のガス器具などは電動式になり、たばこに火を付けるのもライター等です。アンデルセン「マッチ売りの少女」が「ライター売りの少女」に表題が変更になったりして・・・・・そんなことはないと思いますが。

 マッチ棒の頭をマッチ箱にこすり付けますと、ツーンとした火薬の匂いがします。この匂いも懐かしく思われます。

 清は、この頃の西部劇映画でジョンウェーンが靴底でマッチをこすりタバコを吸うシーンを見まして「格好いい。アメリカのマッチは凄い。靴底で火がつくのだ」と感心しました。同時にこの真似をいつかして見たいと思いました。また、こんなマッチが日本に輸入されたらあちこちで火事が出るかもしれないという不安を感じました。

 マッチの種類もいろいろありました。大箱、中箱、小箱。それに箱なしのこするだけで中々火がつかないマッチ。また、こすった時の火の色も違うマッチもありました。マッチ棒の頭が大きいのは綺麗な色が「パッー」と出ました。

 マッチ箱にはいろいろな広告が載っていました。味噌・醤油からお酒・ビール、地元商店の広告などが載っていました。火災保険はなかったと思いのますが・・・・・。

 清の子どもの頃は、大箱のマッチが台所に「ドーン」と置いてありまして、すべて火を使う事はこのマッチ箱を使用しました。また置き場所を動かすことはけっしてありませんでした。中箱、小箱のマッチは大事に保管されていました。

 マッチとタバコとの出会いは清が中学生のころでした。悪友に勧められて初めてタバコを吸った時には「こんなまずいものを大人はよく吸う」と思いました。

 それでも何度も吸っている内に慣れてきまして、胸まで吸い込まずに煙を出すのがなんとも言えない爽快な気分でした。時々胸まで吸い込んで何度も気分が悪くなりました。こんなことの繰り返しでタバコの味を覚えていきました。

 タバコを吸う場所は学校から離れた神社の裏と決まっていました。こんもりと木が生い茂り、周りには人の気配がない静かな場所でした。清たちは「決闘」の場所とも言っていました。「一対一」の喧嘩はここで行なうことになっていました。

「決闘」には二人の仲裁人がそれぞれ付き添いました。ルールは血が出たら「勝負有り」と決められていました。

 仲裁人二人、「決闘者」二人の4人が、一本のタバコを回して吸いました。吸い終えたところでおもむろに決闘をするのです。そして決着がつきますと、また一本のタバコを4人で回して吸うのです。まるで西部劇映画の主人公になりきっていたのです。


(2008年4月1日)


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