(16)横丁の思い出・最終回 |
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巴 清は川の近くに暮らすことに縁があります。鶴見川に20年、多摩川に25年。そして現在は鶴見川の上流に暮らしています。 特に思い出深いのは30数年前の狛江市に住んでいたころの「多摩川土手決壊」であります。3日間にわたり家が次々と川の中に流されて行きました。 知人の大切な家財道具や書籍などの持ち出しを手伝いました。警察から「危ないから早く出なさい」と言われて、その1時間後には家は流されていきました。多摩川の狛江市側の河川敷の土手はすべてが流され、景観が変わってしまいました。 30数年経った多摩川河川敷には10メートル以上ある木々が自然に何本も育ちました。高温、多湿で雨量の多い恵みだと思います。 最近は鶴見川の上流を往復で1時間半ほど歩きます。上流に住んでいますが生活実態は「上流でも中流」でもありません。年金・医療の社会保障の改悪が進められていますので、いつ何かの拍子でホームレスになる可能性が秘められています。「秘められて」はもっと別のことで使いたかったです。 そこで川沿いを歩きながら「テント生活」に適したところをそれとなく見定めています。鶴見川は川幅が狭いので中々見つかりません。それでも3ヶ所ばかり発見?いたしました。
「テント生活」の条件その1は食料の確保。その2は飲み水の確保。その3はトイレの確保。こんなことを歩きながら考えるのはやはり「人間の生活防衛本能」でしょうか。 75歳以上は「後期高齢者医療制度」が「長寿医療制度」名称を変更したりしています。年金から保険料を天引きされ医療費も制限されます。人口比率が高い「団塊世代」の人たちが75歳になりましたら大変なことになります。これは明らかに長寿ではなく「長懲医療制度」です。 盲腸のある人は嘘をついて75歳前に手術をしようかと真剣に考えてしまいます。 あれ、あれ、いつの間にか「横丁の思い出」が現実社会に戻ってしまいました。 横丁で育った清たちには「夢と希望」がありました。貧しくても真面目に働けばなんとかなりました。もちろん全員がそうではありませんでした。 2008年は平成20年とも言われます。はたして真面目に働いたらなんとかなる時代でしょうか。 格差社会が広がりはじめ、年収が2千万の人と200万の人に極端に分かれようとしています。200万円の人たちは何時「テント生活」を余儀なくされるか分かりません。 「横丁の思い出」はもっともっと書きたいですが、思い出に浸っている暇がなくなりました。 さて、次回から何を書こうかと迷いましたが、しばらくは不定期に書くことに決定いたしました。こういうのを「筆休み」というのでしょうか。それとも「刀尽き矢折れて」ガス欠になったのでしょうか。 昔々、巨人軍の長嶋選手が引退の時に「『我が巨人軍は永遠に不滅です』といいました。その真似をしまして「臼井会長のページは永遠に不滅です」。 「なんちゃて。なんちゃて」。 「横丁の思い出」永い間のご愛読ありがとうございました。 |
(2008年4月15日) |