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かなり強烈な表題ですが、野球の審判員ぐらい「人間性」が問われる審判はどのスポーツにもありません。 それぞれのスポーツには厳格なルールがあります。もちろん野球もそうです。が、野球のルールは「許容範囲」がいろいろ場面で拡大されたり縮小されたりして適用されます。そこに人間性が問われる場合があるのです。例を挙げるのは「表題」の目的ではありませんので省きます。
我々の審判は国体クラスチームから、時にはルール知らないチームの審判まで行います。 H・A審判員は「私のストライクゾーンは決まっていて、どんなチームでも厳格にやります」 ところが国体クラスチームから「あの人は審判以前の対応がおかしい。挨拶もしません」。ルール知らないチームからは「野球が楽しくない。楽しくやってくれる審判員がいい」という意見が寄せられます。 H・A審判員はそれなりにルールにも精通しています。ジャッジもちょっとオーバーに取り入れて、見てくれも悪くありません。 審判員が審判員を観る眼と、チームや選手が審判員を観る眼は違っていても不思議ではありません。 問題は、プレーを裁かれるのは選手です。チームから「人気」のある審判員は別にそのチームを有利に裁くからではありません。 若い審判員には、両チームとグランド管理人には試合の前後にはきちんと挨拶するように指導します。が、実はこれができない審判員がいます。 表題の「審判バカからの脱皮」は社会常識を知らない。世の中の動きを観察しない。趣味は野球と審判だけ。これでは「審判バカ」になることは間違いありません。 われわれ「草野球審判員」は「審判バカ」ではプレーは裁くことができないのです。グランドの観察・チームの観察から始まり、チームは何を望んでいるのかを察知する能力も時には必要とされます。そういう意味ではプロ野球の審判よりも難しいと思います。 ハイレベルなプロの審判も見る必要もありますし、プロの審判の方の講習を受けて、たとえ実践できなくとも一歩でも二歩でも近づく姿勢をもつ必要があります。 ハイレベルな審判もやりがいがありますが、34−0の試合の中にもやりがいを探すことも大切です。もちろん忍耐と寛容が要求されます。 百人の審判がいれば「百人百様」です。忍耐と寛容が対応できない審判員もいます。逆に忍耐と寛容は得意だか、審判器量がいまいちの審判員もいます。 「審判バカ」はバカではなれません。誰もが一度は「審判バカ」になる必要があります。問題は何時ここから脱皮するかです。「脱皮」は経験と歳を重ねることではだけでは出来ません。それは各自で考えてください。 野球審判員ほどお付き合いして楽しい「人種?」はいません。時々この人たちの頭の中を割って見たくなるほど魅力のある人もいます。 (2010年7月1日) 思うがまま…は今回をもちまして終わらせていただきます。思うがまま…好き勝手なことを書いてきましたが、よくもまぁあることないことを2年近くにわたって書きました。読んでいただき本当なありがとうございました。 さて、次回から何を書くのか…もうやぶれかぶりで…恥の上塗りで…「小説さ」なんて表題で…おもしろおかしく、そして悲しく…そして少し色恋も…そんなものに挑戦…できたらいいなぁと思う今日このごろです。 |