思うがまま…II

臼井淳一
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(8)未完成なエネルギー

 わたしの知人に、今回の福島原発事故を物凄く気にしている人がいます。特に風向きなど気にしています。彼の父親が子どもの頃広島で被爆されました。現在70歳を過ぎ元気だそうです。

 わたしが「200キロも離れているから気にすることないよ」といいますと
「皆さんには理解できないでしょうが、私には被爆した父の血が流れています。いつ発病するか分らないのです。また発病された方を見ています」

「200キロ離れていても、神奈川県足利市では新茶に微量の放射能が出ています。皆さんと違って少しの放射能でも抵抗力がないかも知れないのです。被爆2世の気持ちは理解できないでしょうね」と言われてしまいました。

 福島原発事故から2カ月以上を過ぎましたが、被害がますます拡がるばかりです。実ははじめからこうなることは予想されていたのです。今回は独自のカンピューターを酷使して解明いたします。

 ご存知のように政府は浜岡原発を停止いたしました。廃炉ではありません。また復活するかも知れないのです。

 ここに着目したいと思います。廃炉にしてしまうと日本全国にあります原発に廃炉が普及いたします。今はちょっと様子を見てみようという段階です。実はこの優柔不断の対応が国際社会でも日本は信用されない原因となっています。

 原発の安全神話は今回の福島原発事故で完全に崩れました。けれど安全神話を造った人にとってはなんとか「夢をもう一度」の願望がまだあるのです。

 安全神話の中にはもちろん事故対策も含まれていました。おそらく彼らは「早くなんとかしろ 作業員を突撃させろ」と気が気ではありません。

 と、同時に「原発がなくても電力には影響しない」ことも彼らはそっと知っているのです。けれども原発は儲かるから残したいのです。

 原子力そのものは戦争の道具として開発されました。はじめての人体実験に広島・長崎で使用しましたのはアメリカです。日本が降伏するのが分っているのに2種類の原爆を投下したのです。

 実験の結果はアメリカにとって大満足でした。以後、原子力はエネルギーとして発展いたしました。

 問題はエネルギーとしてはとても危険で、「爆弾物取り扱い免許」などでは扱えない代物なのです。戦後、日本でも焼夷弾の不発弾が多く発見されましたが「爆弾物取り扱い免許」でなんとか処理いたしました。

 原子力エネルギーは事故を起こしますと、開発したアメリカでも対応できないのはなぜなのでしょうか。

 答えは簡単に申し上げますと、原子力エネルギーは前へ、前へ進むことができても、自動車のように安全に止まり、バックできる研究ができていない未完成なエネルギーなのです。

 そんなエネルギーを電力発電に利用するのは危険極まりないのです。とくに地震大国日本では国そのものが壊滅しかねないのです。

 いよいよ本質に迫ります。実は原発を造る電力会社も当時の政府関係者はすべてわかっていました。分っているのになぜ造ったのでしょうか。

『原発はコストが安いので電力会社も政府も儲かる』
『安全・安全と百回も言えば国民はだませる』
『原発で他国間の競争に勝てる』
『利潤を追求するのは我々の使命なり』

 当時の電力会社の関係者・政府関係者の方はだいぶ亡くなられましたが彼らの多くは「国滅びて 山河あり」の戦前の方です。

 それを継承してしまい、今度は
「国滅びて 山河なし」の危険に日本はさらされています。

 カール・マルクスの「資本論」の中でも
「利潤追求のあまり、企業も国も共倒れになります」と警告しています。

 これにいち早く察知しました大企業幹部の方もおります。
 「経営者も資本主義社会の中での方向転回をしないと大変なことになる」。

 もしかしたらこの方は難解の「資本論」を読んだかもしれませんね。


心


参考資料
カール・マルクス「資本論」ちょっとだけよ
http://www.mbua.net/usui/omougamama/om-001.html


(2011年6月1日)



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