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先日、「福島の美人」に45年ぶりに逢いに行ってきました。K子さんは女房とわたしの共通の友人です。
「告白」いたしますと、20代のころ同じ山岳会で知り合いました。このころ模様は下記を読んでください。
45年前を振り返り、食事を挟み5時間余の長話となりました。昔の楽しい山での出来事、名前も地名を思い出せません。一致した時には思わず3人で拍手です。 K子さんは20数年前に小学6年の息子さんを列車事故で亡くしています。この息子さんへ4才の時に書きました文集を元に2009年に「だいちゃんのベット」という絵本を発行しています。部屋の中には凛々しい息子さんの写真が何枚もありました。 話はどうしても福島原発・地震に行ってしまいます。K子さんが住んでいます福島市内もこどもたちは外で遊んでいません。と言うよりは人をあまり見かけないのです。 毎週のようにお姉さんが入っています施設に行くそうです。「お姉さんは余震がきますと悲しいくらい震えが止まらなくなる」と言っておりました。 そうこうしているうちに宿に行く時間があっという間に来てしまいました。K子さんと女房はミラーから見えなくなるまで激しく手を振っておりました。 「東京で今度お会いしましょう。狭いけど泊まっていってよ」と言いましたが、今度いつ逢えるのかと思いますと、目頭が熱くなり、しばらく二人は無言で福島市内の景色を見て走りました。 あとは、福島原発事故が収まってくれることを祈るばかりですが、政府はこのような時期に「安全を確認して他の原発を再稼動させよう」と世論とまったく逆行することをやろうとしています。 第2、第3の福島原発事故を繰り返すのか。エネルギー確保優先で国民・国土はどうでもいいのか。 福島の美人だけでなく、原発事故がおきたら全国の友人を訪ねなければなりません。いやその前に東京にも危険が迫ってきます。 原発がなくなり、安心して暮らせる日本にして欲しいです。 最後にK子さんが好きだったわたしの詩「愛する山」が見つかったので載せておきます。 西丹沢・東丹沢 昔 丹沢は 海の底にあった山だ 西丹沢・東丹沢 会長のページを読んで寄せられた唄を紹介します。 |
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